
本多忠勝や井伊直政ほど名前を耳にしないんだけど、榊原康政ってどんな人だったの?
このように感じてる人は多いのではないでしょうか。
今回は2023年の大河ドラマ【どうする家康】では杉野遥亮さんが演じる榊原康政について、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。
【チーム家康、出演者発表!】
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) April 15, 2022
徳川家臣団のクールな貴公子
榊原康政:#杉野遥亮
文武に優れた若き武将。名門榊原家の生まれだが、次男のため自由気ままに好きに生きていたところを、家康にその才能を見いだされる。マイペースで、ちょっとひねくれた性格。#どうする家康 pic.twitter.com/rHWll3Az94
どうする杉野遥亮
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) May 12, 2022
・台本を読んで面白いと思ったところは?
・松本さん演じる“殿”に一言!#杉野遥亮 #榊原康政 #どうする家康 pic.twitter.com/r3Gi76Laby
榊原康政という人物を少しでも知った上で、【どうする家康】を楽しんでいただけたら幸いです。
筆者は大河ドラマ視聴歴30年以上の、大河ドラマや歴史ドラマが3度の飯より好きなアラカン主婦です。最初に観た大河ドラマは滝田栄さん主演の『徳川家康』。
今までの大河で一番好きなのは『真田丸』です。
徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人





榊原康政は、酒井忠次、本多忠勝、井伊直政とともに徳川四天王と言わた人です。



徳川十六神将の一人でもあり、本多忠勝、井伊直政とともに特に武勇に優れた徳川三傑としても有名なんだよ。
他の徳川四天王についての解説記事です。
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榊原康政の生涯
生まれ
1548年、榊原長政の次男として三河国上野郷(現:愛知県豊田市上郷町)に生まれます。



榊原は陪臣と言って、家臣の家臣という身分だったんです。康政はそこから小姓となり、四天王と言われるまでに大出世した人なんだよ。



本多忠勝とは同い年なんだね。



二人とも旗本先手役に選ばれていたから、生涯いいライバルだったんだろうね。
幼い頃から勉学を好み、書を読んで、字も大変上手かったと言われています。13歳の時、松平元康(後の徳川家康)に見出され、小姓となったのです。
小姓とは 貴人のそば近くに仕えて、身の回りの雑用を務める役職のことです。
初陣ー三河一向一揆
16歳の時、三河一向一揆鎮圧戦で初陣を果たします。



この時の活躍により、家康は自分の名の康を与え、武功をたたえたのです。



小姓が殿様から名前の1字をもらうなんて、すごい活躍ぶりだったことが想像できるね。
姉川の戦い
姉川の戦いでは一隊を率いて朝倉軍の側面を攻撃し、それまで数で劣り押され気味であった形勢を逆転させ、勝利に貢献しました。



康政は先陣の酒井忠次に次いで、二陣で参戦しました。真一文字に隊を進軍させ、先手の忠次軍を抜かさんばかりの勢いで、声を掛け合って押し上がれと指示をして大奮戦したようです。



この戦いで家康から「この手の戦い方は、この度の康政が手本なり」と称賛されたんだよね。
三方ヶ原の戦い、長篠の戦い
三方ヶ原の戦い(1573年)や長篠の戦い(1575年)でも、必死に家康を守るために戦い続けます。



三方ヶ原の戦いでは家康撤退時に康政は浜松城に入らず、浜松城に入れなかった味方兵を呼び集めて夜を待ち、一斉に兵に声を上げさせながら敵陣に駆け入らせ、動揺し逃げ惑う武田軍を瓦解させてから浜松城に入ったと伝えられています。



長篠の戦いでは決死の覚悟で徳川本陣に突撃してくる内藤昌豊を本多忠勝と共に戦って家康を守ったと言われてるね。



なんか大声出させて相手をひるませる戦法多い気がしない?^^;



ドラマで面白く描いてくれるといいね。
松平信康の傅役
「傅役」(もりやく)とはお守り役、身分の高い家に生まれた子供につけられるお世話係や教育係のことです。多くの場合、戦国時代の武将の跡継ぎにつけられた教育係を指します。
引用元 コトバの意味辞典



信康はとても乱暴な一面があったと言われています。このため傅役であった康政は、信康にたびたび諫言したため遂に信康は激怒して康政を弓で射殺しようとしたのです。しかし康政は少しも動じず泰然としていたため、逆に信康のほうがその態度に気圧されて従ったと伝わっています。
本能寺の変~伊賀越え
1582年本能寺の変では、家康とともに決死の伊賀越えを決行します。



追っ手に追われる中、家康はもうこれまでと思い自害しようとするのを、榊原康政ら家臣たちが諫めて止めて、三河へ帰ることができたのです。



真田丸では内野聖陽さんが家康役でコミカルに演じていてとても笑えたね。
小牧・長久手の戦い
1584年、徳川家康と豊臣秀吉の直接対決・小牧・長久手の戦いが起こります。



この合戦で秀吉の甥・秀次の軍勢をほぼ壊滅に追い込み、森長可、池田恒興を討ち死にさせたのです。秀次軍を破ったことが、数で勝る秀吉軍相手のこの戦いの大勝利に繋がったわけです



小牧・長久手の戦いでは、秀吉弾劾の檄文を作成したことでも知られ、怒った秀吉は康政の首に十万石を掛けたと言われているんだよ。



その後、秀吉とは和平し、徳川殿は小平太殿のような武将を持っていて羨ましいと言わせたのでした。
関ヶ原の戦いから最期
1600年、関ケ原の戦いでは主力の徳川秀忠軍に軍監として従軍します。



この時、徳川秀忠と榊原康政は、上杉討伐のために、徳川家康とは別ルートで進軍していました。途中真田昌幸と戦う事になったり、大雨で川が増水するといったハプニングに見舞われ、関ヶ原の戦いに大遅刻してしまうのです。



怒った家康は何日も秀忠の面会を許さなかったんだよね。



康政のとりなしでなんとか事なきを得て、伏見城での対面が許され、秀忠は康政に大変感謝したと言われているのです。
晩年康政は江戸幕府の老中になりますが、権力を振るうのを嫌い(あるいは権勢を振るう本多正信に嫌気が指し)、自ら政治の中枢から離れていったという話があります。
1606年5月、毛嚢炎が悪化し館林にて死去となりました。享年59歳。
生涯を通じて家康の忠臣であり清廉潔白な生き方をした武将でした。
まとめ
今回は【どうする家康】で杉野遥亮さんが演じる榊原康政について簡単に紹介しました。
若い時から文武にすぐれ、小姓から徳川四天王にまで大出世し、秀吉をもうならせた男。
杉野遥亮さんの若さと知性で存分に演じてほしいですね。
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