エンタメ大好きアラカン主婦の雑記ブログ

2024年大河ドラマ【光る君へ】キャスト一覧~紫式部の生涯を彩る人々【随時更新】

2024年の大河ドラマは吉高由里子主演、大石静脚本の【光る君へ】という発表が、2022年5月11日にありました。

内容は「世界最古の女性文学」と呼ばれる『源氏物語』を生んだ主人公の紫式部(役名:まひろ)の生涯を描くというもの。

タイトルの光る君とは源氏物語の主人公光源氏を指しており、そのモデルとなったのは平安時代中期に栄華を極めた藤原道長とされています。

主人公まひろ吉高由里子)の相手役ということで、キャストは誰になるのか予想がにぎわっていましたが、やっと発表されました。(11/8)

ちまたでは松下洸平さんや井浦新さんの声が多かったようですが…。(参照:J-CASTアンケート

やはりドラマ「最愛」のインパクトが大きかったようです。

【ドラマ『最愛』感想】最愛の人を守ろうとする加瀬の悲しくも一途な愛



発表されたキャスト、藤原道長柄本佑さんでした。

「知らなくていいコト」(2020)での共演が記憶に新しいところです。

この脚本も大石静さんでしたね。

元カレとの関係にドキドキしたものです。

息の合ったまひろと道長の関係性が、より楽しみになりました😊

新たなキャストも続々と発表されてきます。

キャスト発表ごとに更新していきますので、ぜひ今後とも活用してください。

スポンサーリンク
目次

【光る君へ】キャスト一覧

紫式部(まひろ)ー吉高由里

吉高さんは大河ドラマは2度目の出演となります。

前回は『篤姫』で於哲という役で島津斉彬の異母弟・島津忠教の娘を演じていました。

紫式部について

平安中期の女流作家。
『源氏物語』『紫式部日記』『紫式部集』の著者です。

藤原道長娘で一条天皇の中宮である彰子に仕えて『源氏物語』を完成させています。

尊卑分脈』には道長の妾であったという記述もみられるが、その関係は不明です。

藤原道長ー柄本佑

柄本佑さんは、風林火山(2007年)、いだてん(2019年)に次ぐ、3度目の大河の出演です。

藤原道長について

五男に生まれ、道隆、道兼という有力な兄がいたため、さほど目立たない存在だったが、思わぬ事態が重なり、若くして政権の中心に躍り出ることになります。

一条天皇に長女の彰子を入内させ中宮とし、次の三条天皇には次女の妍子を入れて中宮とします。
しかし、三条天皇と深刻な対立が生じると退位に追い込み、彰子の生んだ後一条天皇の即位を実現して摂政となります。

後一条天皇には三女の威子を入れて中宮とし、「一家立三后」(一家三后)という剛腕を発揮し驚嘆されました。

まひろ(紫式部)とは幼いころに出会い、のちに「源氏物語」の執筆をバックアップし、后となった娘に学問を授けさせるために宮中に出仕させます。

二人には身分差があるが、生涯離れることのないソウルメイトとなったのです。

 この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば

藤原道長が最高権力者となり、この世は自分の思うようにならぬものはないと詠んだ和歌です。

「一家立三后」とは藤原道長が生きている間に自分の娘を3人も皇后にしたことを言います。

清少納言ーファーストサマーウイカ

ファーストサマーウイカ さんは大河ドラマ初出演です。

清少納言について

清少納言は平安時代中期に活躍した女性作家。代表作は『枕草子』です。

彼女の生年月日については諸説あり、はっきりとしたことはわかりませんが、宮廷の中で高い地位にいたことは確かです。

清少納言は日記や随筆を通して、当時の宮廷の生活や文化、人々の心情などを描くことに長けていました。

一条天皇の時代、993年冬頃から、私的な女房として中宮定子に仕えました。

しばしば紫式部と比べられライバルと見られていたようです。

藤原為時(紫式部の父)ー岸谷五朗

岸谷五朗さんは琉球の風(1993年)、江〜姫たちの戦国〜(2011年)、青天を衝け(2021年)に次ぐ、4度目の大河の出演です。

藤原為時について

藤原為時は紫式部の父で、藤原北家の出自です。

下級貴族ですが花山天皇に漢学を教えた漢詩人、歌人です。

和歌や漢籍に通じ、『後拾遺和歌集』や『新古今和歌集』に選ばれるほどの才覚です。

その才能は紫式部に文学の素養を授けたのでした。

ちやは(紫式部の母)ー国仲涼子

国仲涼子さんは、大河ドラマ初出演です。

ちやは(紫式部の母)について

紫式部の母は摂津守・藤原為信女であるが、紫式部の幼少期に亡くなったとされています。

不器用な夫を支え、豊かとはいえない暮らしの中でも幼いまひろや弟の太郎を、愛情深く育てた優しい女性として描かれるようです。

藤原兼家(道長の父)ー段田安則

段田安則さんは、翔ぶが如く(1990年)、太平記(1991年)、秀吉(1996年)真田丸(2016年)に次ぐ、5度目の大河の出演です。

藤原兼家について

藤原兼家は道長の父で、藤原氏の中でも名門中の名門です。

兼家は策略によって花山天皇を退位させて、娘が生んだ一条天皇を即位させて摂政となります。

権力を得て政治のトップに躍り出、天皇の外祖父となり、栄華を息子らに継がせようと画策する切れ者です。

藤原惟規(紫式部の弟)ー高杉真宙

高杉真宙さんは、平清盛(2012年)に次ぐ、2度目の大河の出演です。

藤原惟規について

作中の幼名は太郎。

藤原惟規は藤原為時の子で、紫式部の同母弟です。

幼少時に、姉の紫式部とともに為時について書(漢籍)を学んだが、惟規は暗誦することができず、紫式部は暗誦して見せたため、父・為時は式部が男でないことが残念だと思った、という有名な話があります。

時姫(道長の母)ー三石琴乃

三石琴乃さんは、大河ドラマ初出演です。

時姫(道長の母)について

時姫は藤原兼家の正室で藤原兼家に嫁いで藤原道隆・道兼・道長・超子・詮子らの母となります。

しかし、夫の兼家が摂政になる前に死去したとされています。

藤原道隆(道長の兄・長男)ー井浦新

井浦新さんは、平清盛(2012年)に次ぐ、2度目の大河の出演です。

藤原道隆について

藤原道隆は藤原兼家の長男です。

花山天皇退位事件(寛和の変)で父兼家の意を受けて宮中で活動。甥にあたる一条天皇の即位後は急速に昇進します。

娘・定子を女御として入内させ、後に中宮となします。

父・兼家が死ぬと後を継いで関白となり、朝政を主導するが僅か5年ほどで病に倒れてしまいます。

嫡男・伊周を後任の関白にと願うが、天皇からは許されず、夢かなわぬまま死去しました。

藤原道兼(道長の兄・次男)ー玉置玲央

玉置玲央さんは、真田丸(2016年)、麒麟がくる (2020年)に次ぐ3度目の大河の出演です。

藤原道兼について

藤原道兼は藤原兼家の三男です。(次男の道綱は正妻腹でなかったため、キャスト発表では、兼家と時姫の間の次男ということで、次男と表記されているのだと思います)

父・兼家の意を受けて花山天皇を唆して出家・退位させます。(寛和の変)

兼家が死去すると道兼の期待に反して長兄・道隆が関白となります。5年後に道隆が病死すると、待望の関白になるが、その僅か数日後に病死したため「七日関白」と呼ばれています。

藤原詮子(道長の姉・一条天皇の母)ー吉田羊

吉田羊さんは、江〜姫たちの戦国〜(2011年)、平清盛(2012年)、真田丸(2016年)に次ぐ4度目の大河の出演です。

藤原詮子について

藤原詮子は兼家の次女で、道長の姉です。

後に円融天皇の女御となり、一条天皇の母となります。

円融法皇が崩御した後は、国母として強い発言権を持ち、政治に介入するようになります。

高階貴子(道隆の妻)ー板谷由夏

板谷由夏さんは、篤姫(2008年)に次ぐ2度目の大河の出演です。

高階貴子について

高階貴子は平安時代の女流歌人で女房三十六歌仙に数えられています。通称は高内侍(こうのないし)。

藤原道隆の妻となり、伊周、隆家、隆円と長女・定子を含む三男四女をもうけます。

道隆死後、子供たちは叔父道長との政争に敗れ、権勢は道長へと移っていくのでした。

陰陽師 安倍晴明ーユースケ・サンタマリア

ユースケ・サンタマリアさんは、麒麟がくる(2020年)に次ぐ2度目の大河の出演です。

陰陽師 安倍晴明について

安倍晴明の系譜は不詳ですが、大膳大夫・安倍益材(あべのますき)の子と伝わり921年に生まれたとされています。

陰陽師とは古代日本の律令制下において中務省の陰陽寮に属した官職の1つです。

晴明は出世が遅れ、961年6月以降に陰陽師(官職)に任じられ、970年に陰陽少属に昇進、971年には51歳で天文博士の兼任が認められたといわれています。

天皇や貴族、政局にも大きな影響を及ぼすようになります。

源倫子(道長の嫡妻)ー黒木華

黒木華さんは、真田丸(2016年)、西郷どん(2018年)に次ぐ2度目の大河の出演です。

源倫子について

源倫子は、藤原道長の正室です。父は左大臣源雅信で母は藤原穆子(ふじわらのぼくし/あつこ)です。

雅信は倫子を天皇の后にと考えたようですが、いろんな事情が重なり願い叶わず、母穆子の勧めもあり道長との結婚に至り鷹司殿と呼ばれました。

雅信は、道長の父で摂政・藤原兼家を牽制できた唯一の公卿だったため、この結婚は緊張緩和に繋がり、その後の道長の政治的・経済的基盤も盤石なものとなりました。

夫婦仲は良く、とりわけ娘に恵まれたため、後の道長の幸運を支えることとなったのです。

源明子(道長のもう一人の妻)ー瀧内公美

瀧内公美さんは、大河ドラマ初出演です。

源明子について

源明子は道長の室です。『源氏物語』の源典侍(げんのないしのすけ)のモデルかと言われています。

父は左大臣源高明、母は藤原師輔(ふじわらのもろすけ)女の愛宮です。同母弟に経房がいます。

安和の変による父の失脚後、叔父盛明親王(もりあきらしんのう)の養女となり、親王の没後は東三条院の庇護を受け、藤原道長と結婚して高松殿と呼ばれました。

通説では、道長が源倫子と結婚した翌年に明子と結婚したとされているが、近年では倫子と結婚する以前に既に明子と結婚していたという説があります。

しかし、倫子の父の源雅信が道長を自分の土御門殿に居住させたことにより倫子が嫡妻とみなされ、明子は「妾妻」とみなされました。

藤原実資ー秋山竜次

秋山竜次さんは、大河ドラマ初出演です。

藤原実資について

藤原 実資は、平安時代の公卿、藤原北家小野宮流、参議・藤原斉敏(ふじわらのただとし)の四男です。

藤原北家嫡流・小野宮流の膨大な家領を継ぎ、有職故実に精通した当代一流の学識人であり、藤原道長が権勢を振るった時代に筋を通した態度を貫き、権貴にあらぬ人との評価を受けました。
最終的に右大臣にまで昇り、「賢人右府」と呼ばれました。

実資の残した日記『小右記』はこの時代を知る貴重な資料となっています。

藤原公任ー町田啓太

町田啓太さんは、西郷どん(2018年)、青天を衝け(2021年)に次ぐ3度目の大河の出演です。

藤原公任について

藤原公任は、歌人としてよく知られている公卿で、四納言の一人です。

四納言(しなごん)とは、平安時代中期一条天皇の時代に活躍した4人の公卿(源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成)の称。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


関白太政大臣・藤原頼忠の長男です。

名門小野宮家の嫡子として、順調な官界生活であったが、政権が藤原兼家、道隆、道長と移るにつれ、しだいに不遇となり、道長に追従することによってかろうじて自己の政治的地位を保つのでした。

政界での出世を断念した公任は、その後文学的活動に比重を移し、やがて歌人としての地位を不動のものとします。

藤原斉信ー金田哲

金田哲さんは、大河ドラマ初出演です。

藤原斉信について

藤原斉信は、太政大臣・藤原為光の次男で、四納言の一人です。

朝儀に明るく、道長の信任厚く、道長の娘・彰子、威子の中宮大夫、外孫敦成親王(後一条)の東宮大夫を兼ねました。

1001年、同母兄・誠信を越えて権中納言となり、誠信を憤死させた話は有名です。

藤原行成ー渡辺大知

渡辺大知さんは、いだてん〜東京オリムピック噺〜(2019年)、青天を衝け(2021年)に次ぐ3度目の大河の出演です。

藤原行成について

藤原行成は、藤原義孝の子で母は源保光(やすみつ)の娘です。

多芸多才で藤原公任、藤原斉信、源俊賢らとともに一条朝の四納言と称されました。

書家としても名高く、小野道風、藤原佐理とともに「三跡」の一人と言われています。

その書風は世尊寺流として後世に伝えられました。

源俊賢ー本田大輔

本田大輔さんは、龍馬伝(2010年)、麒麟がくる(2020年)に次ぐ3度目の大河の出演です。

源俊賢について

源俊賢は、源高明の3男で、母は藤原師輔の娘です。

儀式、政務に明るく、詩文の才もあり、藤原公任らとともに四納言と称せられました。

異母妹の明子は道長の室です。

源雅信(倫子の父)ー益岡徹

益岡徹さんは、翔ぶが如く(1990年)、毛利元就(1997年)、軍師官兵衛(2014年)に次ぐ4度目の大河の出演です。

源雅信について

源雅信は、敦実親王の王子で、母は藤原時平の娘。宇多源氏の祖です。

源朝臣の姓を受けて臣籍に入ることになりました。

和歌、蹴鞠  に長じていたが、とりわけ音楽にすぐれ、一代の名匠とほめたたえられたほどです。

特に左大臣を辞するとき、その辞表のなかで佳句を朗詠し、その句や歌い方がのちの朗詠の模範となったと伝えられています。

藤原穆子(倫子の母)ー石野真子

石野真子さんは、いのち(1986年)、春日局(1989年)、軍師官兵衛(2014年)に次ぐ4度目の大河の出演です。

藤原穆子について

藤原穆子は、中納言・藤原朝忠の娘です。

左大臣・源雅信と結婚し、倫子、時通、時叙らを生みます。

父から譲られた土御門第に夫を迎えて同居し、倫子の結婚に際しては、夫の反対を抑えて藤原道長を婿に迎えました。

夫の死で出家し、一条尼とよばれました。

藤原頼忠(公任の父)ー橋爪淳

橋爪淳さんは、徳川家康(1983年)、春日局(1989年)、信長 KING OF ZIPANGU(1992年)、徳川慶喜(1998年)、元禄繚乱(1999年)、に次ぐ6度目の大河の出演です。

藤原頼忠について

藤原頼忠は、藤原実頼の次男で、母は藤原時平の娘です。

977年左大臣となり、関白・藤原兼通が弟・兼家と不和だったため、同年兼通から関白をゆずられました。

翌年太政大臣を兼務します。

円融天皇の皇后となった娘・遵子に皇子が生まれず、外戚とはなれなかったのでした。

藤原宣孝(紫式部の夫)ー佐々木蔵之介

佐々木蔵之介さんは、風林火山(2007年)、麒麟がくる(2020年)に次ぐ3度目の大河の出演です。

藤原宣孝について

藤原宣孝は、藤原為輔の子で、母は藤原守義の娘です。

紫式部の父・為時と為輔はいとこであり、宣孝と紫式部は、またいとことなります。

999年ごろ紫式部を妻とし、ふたりのあいだに賢子(大弐三位)が生まれています。

藤原定子ー高畑充希

高畑充希さんは、軍師官兵衛(2014年)に次ぐ2度目の大河の出演です。

藤原定子について

藤原定子は、藤原道隆の娘で母は高階貴子です。

後に一条天皇の皇后となります。

996年、兄・伊周、隆家が花山法皇をおどし射ちする事件によりいったん出家したが、ふたたび参内し、脩子(しゅうし)内親王、敦康(あつやす)親王が生まれます。

1000年、道長の長女・彰子が中宮にたったため皇后となり、一天皇に二后併立の例を開きました。この年12月15日、媄子(びし)内親王を産み、翌日に亡くなりました。

定子皇后には清少納言が仕えており、『枕草子』には定子の身辺について詳しく記されています。

藤原彰子ー見上愛

見上愛さんは、大河ドラマ初出演です。

藤原彰子について

藤原彰子は、藤原道長の長女で母は源倫子です。

999年、一条天皇の女御となり、翌年立后されます。

天皇にはこれより前に、藤原道隆の娘・定子が中宮でおり、二后併立となったため定子を皇后とし、彰子を中宮としました。

1012年に皇太后、1018年に太皇太后宮となり、1026年に出家し、院号の宣下があって上東門院となりました。

紫式部・和泉式部・伊勢大輔・赤染衛門らの才女を従えて、女流文学全盛期の中心となった人です。

藤原伊周ー三浦翔平

三浦翔平さんは、大河ドラマ初出演です。

藤原伊周について

藤原伊周は、藤原道隆の嫡男で母は高階貴子です。

 995年父の死後、内大臣であった伊周は関白の座を道兼、次いで道長と争って敗れます。

996年23歳のとき、女性問題から花山上皇を威嚇したこと、東三条院詮子を呪詛したことなどで大宰府に左遷。

翌年の大赦で帰京し、元の位に復帰したが、二度と権力の座につくことはありませんでした。

藤原隆家-永山絢斗

永山絢斗さんは、いだてん〜東京オリムピック噺〜(2019年)に次ぐ2度目の大河の出演です。

藤原隆家について

藤原隆家は、藤原道隆の四男で母は高階貴子です。(高階貴子を母とする兄弟では次男です)

994年、父の威勢により参議となり、翌年権中納言さらに中納言と異例の昇進をします。

しかし父の死により、藤原道長と政権の座を争って敗れた兄伊周と共に996年、花山法皇を射嚇したなどの罪で出雲権守に左遷されました。

のち中納言に復帰。大宰権帥をかねて赴任し、1019年刀伊(とい)の入寇を撃退するなどの武功をあげています。

円融天皇ー坂東巳之助

坂東巳之助さんは、大河ドラマ初出演です。

円融天皇について

円融天皇は、村上天皇の第5皇子で母は藤原安子です。

同母兄冷泉天皇の譲位をうけ、第64代天皇として11歳で即位します。

16年間の在位中は藤原兼通、兼家兄弟の政権争いや、摂政、関白も実頼、伊尹、兼通、頼忠と目まぐるしく替わるなど、終始藤原家に翻弄された天皇でした。

26歳で花山天皇に譲位して仏門にはいり、円融寺に住みます。

33歳という若さで亡くなりました。

春日野に多くの年はつみつれど老いせぬ物は若菜なりけり(拾遺和歌集)

和歌を愛した円融天皇御製の歌です。

花山天皇ー本郷奏多

本郷奏多さんは、麒麟がくる(2020年)に次ぐ2度目の大河の出演です。

花山天皇について

花山天皇は、冷泉天皇の第1皇子で母は藤原懐子です。

円融天皇の譲位をうけ、17歳で第65代天皇として即位します。

花山天皇は権中納言の藤原義懐と左中弁の藤原惟成の補佐を得て、荘園の整理や貨幣流通の活性化等を行いました。

地方の行政改革など革新的な政治を行ったが、革新的な政策は関白である頼忠らとの確執を招きました。
さらに皇太子懐仁親王の外祖父である右大臣藤原兼家も花山天皇の早期退位を願って、天皇や義懐と対決の姿勢を示しました。

986年皇太子懐仁(やすひと)親王の即位を急ぐ外祖父藤原兼家らの陰謀により花山寺で出家、懐仁(一条天皇)が即位しました。

在位はわずか1年10か月という短いものでした。

天皇は〈風流者〉と称されるように芸能に優れ、『拾遺和歌集』の選にもかかわったとされています。

「光る君へ」脚本家 大石静について

『功名が辻』(2006年)以来の大河ドラマの脚本を担当することになった大石さんは、日本でトップクラスの脚本家さんです。

1980年代より数々の人気作を世に送り出しています。

吉高由里子さんとは2020年の日本テレビ系ドラマ『知らなくていいコト』以来のタッグになります。

女性目線で描く平安中期に期待度アップですね(^^♪

大石静脚本 主な作品

  • ふたりっ子(1996年)
  • オードリー(2000年)
  • ハンドク!!!(2001年)
  • 功名が辻(2006年)
  • セカンドバージン(2010年)
  • 家売るオンナ(2016年)
  • 大恋愛〜僕を忘れる君と(2018年)
  • 知らなくていいコト(2020年)

「光る君へ」音楽担当

「光る君へ」語り担当

ストーリー

10世紀後半、京で生まれた一人の女の子。父・藤原為時は和歌に秀で、名を知られた文人。貴族の中ではけっして上位ではないが、名家である。女の子はまひろと名付けられ、幼くして母を失ったものの、弟とともに父の慈愛を受けて育つ。

まひろの文学の素質は際立ったものがあり、弟への講義を横で聞くだけで、漢学も和歌も覚えてしまうほどだった。学問はまひろにとって、心の中の豊かな世界観の礎となる。

母の死から数年後、少女のまひろが出会った運命のひと。それがのちの最高権力者となる藤原道長である。そのころの道長は、まだ兄たちの陰に隠れて、おっとりとしたかわいらしい少年にすぎなかった。成長するにつれて、まひろと道長は、子どもらしい親しみから、やがてお互いにかれるようになる。しかし両家の家格の違いと、まひろの母の死にまつわる秘密が、二人の関係に影を落とす。

その後、父の受領としての赴任先・越前に同行したまひろ。一方で、道長はライバルを蹴落とし、権力の階段を急速に上り始めていた。まひろは思いを断ち切って、京に戻り藤原宣孝との結婚を決める。宣孝とは父ほども年が離れており、娘を授かったものの、わずか一年で夫が急逝。まひろはシングルマザーとなる。

道長は、天皇に娘を入内させ、いずれは天皇の祖父=外戚となることをもくろんでいた。天皇、道長たち貴族、そして后や姫たちの複雑な人間関係を聞き知ったまひろ。生来の文学好きと結びついて想像が広がり、子育てのかたわら、一編の物語を書きはじめる。主人公は皇子でありながら、臣下となった光る君。その呼び名のとおり光り輝くように美しい男性だ。やがて『源氏物語』の評判は道長の耳に入り、娘に后としての教養を授ける女房として宮中に上がるよう、強く誘われる。ライバルを抑え、我が娘に文学好きな天皇をきつけたい思いが、道長にはあった。

一人娘の養育のために、宮中に上がることを決意するまひろ。宮仕えのかたわらで、道長のバックアップを得て、乞われるままに源氏物語を書き進む。書き上げる端から周囲が奪い合うほどの人気ぶりで、女性たちはもちろん、天皇までもが源氏物語に魅せられる。ヒロインの紫の上にちなんで、まひろに「紫」の呼び名が冠されるほどだった。

引用元 NHK_PR 光る君へ

2024年大河ドラマ【光る君へ】キャスト一覧 まとめ

2024年の大河ドラマは吉高由里子さん主演、大石静さん脚本の【光る君へ】です。

大河ドラマで女性が主人公になるのは、柴咲コウさん主演の『おんな城主直虎』以来7年ぶりです。

女性が主人公の大河ドラマも7作目という7つながり!

その作品を当代きっての人気女優と人気脚本家がタッグをくんで送り出す。

期待しかありませんね(≧▽≦)

今後発表されるキャストについても随時更新していきますので、楽しみに待っていてくださいね!

最後まで読んでいただきありがとうございました。

またのお越しをお待ちしております(*^^*)

なおらん

過去の大河ドラマや見逃し配信を観るなら、まずは31日間無料のU-NEXTがおすすめです❗️

\31日間無料・U-NEXT 下のボタンから申し込みできます/

ランキング参加中!
ポチっとしていただけたら励みになります!(^^)!

PVアクセスランキング にほんブログ村

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

目次