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酒井忠次ってどんな人?簡単解説~徳川四天王の筆頭です【どうする家康】

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酒井忠次って名前、あんまり聞いたことないけど、どんな人だったの?



歴史をあまり詳しくない人はそのように思われるかたもいるのではないでしょうか。


今回は2023年の大河ドラマ【どうする家康】で大森南朋さんが演じる酒井忠次について、簡単にわかりやすく解説していきたいと思います。




少しでも人物像を頭の隅のほうに置いて、【どうする家康】を楽しんでいただけたら幸いです。

酒井忠次 大河ドラマ歴代キャスト&作品名
  • 明石健…1965年「太閤記」
  • 小松方正…1981年「おんな太閤記」
  • 福田豊土…1983年「徳川家康」
  • 中丸新将…1988年「武田信玄」
  • 加藤治…1989年「春日局」
  • 林邦応…1992年「信長 KING OF ZIPANGU」
  • 真夏竜…1996年「秀吉」
  • 森田順平…2006年「功名が辻」
  • 飯島大介…2009年「天地人」
  • 桜木健一…2011年「江~姫たちの戦国~」
  • みのすけ…2017年「おんな城主直虎」

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目次

酒井忠次ってどんな人?

徳川四天王、徳川十六神将筆頭

酒井忠次肖像画
出典 Wikipedia 酒井忠次肖像画

酒井忠次は、本多忠勝榊原康政井伊直政とともに徳川四天王と言われている人です。

中でも彼は、最古参の家臣で功績も大きく、徳川四天王徳川十六神将ともに筆頭とされています。

徳川十六神将とは
  • 酒井忠次(1527年 – 1596年)
  • 本多忠勝(1548年 – 1610年)
  • 榊原康政(1548年 – 1606年)
  • 井伊直政(1561年 – 1602年)
  • 米津常春(1524年 – 1612年)
  • 高木清秀(1526年 – 1610年)
  • 内藤正成(1528年 – 1602年)
  • 大久保忠世(1532年 – 1594年)
  • 大久保忠佐(1537年 – 1613年)
  • 蜂屋貞次(1539年 – 1564年)または植村家存(家政)(1541年 – 1577年)
  • 鳥居元忠(1539年 – 1600年)
  • 鳥居忠広(? – 1573年)
  • 渡辺守綱(1542年 – 1620年)
  • 平岩親吉(1542年 – 1611年)
  • 服部正成(1542年 – 1596年)
  • 松平康忠(1545年 – 1618年)または松平家忠(1555年 – 1600年)

    引用元 Wikipedia

うわー!四天王以外は聞いたことのない名前ばかりだ!

ドラマなどでは有名な武将しか出て来ないから当然だよ。

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生まれ

酒井忠次は1527年に徳川の前身松平氏の家臣であった酒井忠親の次男として、現在の愛知県岡崎市井田町で生まれます。

家康が1542年生まれだから15歳も年上なんだね。

四天王の中でも圧倒的お兄さんで、当時なら他の3人とは親子ほどの年の差なんだよ。

酒井忠次は10歳の時に父、忠親を亡くしています。


以来酒井家は忠次が当主となり、この若い当主のもと戦国の世の荒波を乗り越えていくのです。 

人質としての竹千代と共に今川へ

1549年に竹千代(家康の幼名)の父、松平広忠が亡くなると、竹千代は松平家の当主となります。

8歳で当主ってなにもできないでしょ?

当然、家臣たちが支え、代わりに統治するようになるんだ。

なおらん

酒井忠次はその1人として、松平家の居城である岡崎城に滞在することになるんです。

竹千代が今川義元(野村萬斎)の人質として駿府へ赴く時には、竹千代に従う家臣の中で2番目の高齢者(23歳)として同行します。

竹千代は心強かっただろうね。今川義元も、岡崎のことは酒井忠次に相談するようにと言って忠次のことを高く評価していたらしいよ。

そして、桶狭間の戦いまで今川の元、駿河で過ごすこととなるのです。

桶狭間の戦い→岡崎城へ帰還

『尾州桶狭間合戦』(歌川豊宣画)
出典 Wikipedia 『尾州桶狭間合戦』(歌川豊宣画)

1560年の織田軍VS今川軍の桶狭間の戦いでは、元康松本潤)は(元服後元信から元康へ)今川軍で参戦します。


今川義元の死を知ると、元康はこれを機に岡崎城へ帰還することを決意します。


命からがら家臣とともに、生まれ故郷である岡崎城へ戻るのです。




岡崎城へ帰還後、忠次は家老として働き、松平清康の娘・碓井姫を正室に迎え、松平家との絆を深めていくのでした。

数々の戦功

1563年の三河一向一揆では、酒井忠尚(忠次の叔父であると言われる)を始めとする酒井氏の多くが一向一揆に与したのに対し、忠次は裏切ることなく家康に従うのでした。


その後も1570年の「姉川の戦い」、1573年の「三方ヶ原の戦い」、1575年の「長篠の戦い」などで活躍。徳川家康を支え続けました。

松平信康切腹事件

家康の嫡子松平信康細田佳央太)は信長の娘である徳姫と結婚します。

なおらん

家康と信長岡田准一)は清州で同盟を結んだので、その証でもあったのです。



信康の母は今川家の血を引く瀬名(築山殿)(有村架純)です。




織田は敵、嫁姑の関係がうまくいくわけがありません。


徳姫は

  • 信康と不仲であること
  • 築山殿が武田勝頼と内通したこと

などを手紙にしたため、酒井忠次を通じて信長に伝えます。


信長が問いただすと、忠次は信康をかばうことなく事実と認めたのでした。


これにより信長は家康に信康の切腹を命じます。


築山殿は殺害され、信康は切腹するにいたったのでした。

なおらん

徳姫は男子を生むことができず、信康は粗暴な性格のため夫婦仲は冷え切っていたと言われています。

家康と信康の対立もあったためと近年では言われています。大河でどんな風に描かれるのか興味深いですね。

この事件のあとも忠次は徳川の重臣として仕えているので、いろんな説が出てくるんだろうね。

1588年に家督を長男に譲るまで徳川に尽くし続けたのでした。


1596年、京都桜井屋敷で死去。享年70。

この時代にしては、長生きしたほうなんだね。

酒井忠次の逸話

海老すくいのおどり

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出典 Nahd Retaad 海老すくい Ebi Sukui

忠次は海老すくいという踊りを得意とし、酒宴の場で踊って見せ、戦に赴く武士たちの緊張をやわらげたりしています。


また、信長や北条氏政などの諸将の前でも踊って場を盛り上げるといった、重臣とは思えないことをして徳川のために貢献したのです。

酒井の太鼓

三方ヶ原の戦いで武田軍に惨敗し浜松城へ戻ってきた家康は、逃げ帰って来る者のために、城門を開いたままにして、城門の外へ大きなかがり火を焚かせるよう命じます。

 
すると城の中を守っていた酒井忠次が、太鼓を高々と打ち鳴らし始めました。


この音は武田信玄本陣にも聞こえ、浜松城には伏兵がまだたくさんいて、打ち破るのは簡単ではないと考え軍勢を引き上げたと言われています。

忠次の機転で家康は九死に一生を得たんだね。

武田からの句

1573年正月、武田家から「松枯れて竹たぐひなき明日かな(松平は枯れて武田は類ないようになる将来だ)」と詠んだ句が送られてきます。


家康や徳川家臣団は激怒しますが、忠次はその句の要所に濁点を入れて「松枯れで竹だくびなき明日かな(松平は枯れず武田は首がない将来だ)」と読み返したのです。


このことから、正月には門松の竹を斜めに切り落とすのが習慣になったと言われています。

なおらん

酒井忠次はひょうきんでとんちもあり、機転もきく。現代で言うなら、上司にしたい人物像№1ですね。

酒井忠次ってどんな人? まとめ

今回は【どうする家康】大森南朋さんが演じる酒井忠次について簡単に紹介しました。


南朋さんの海老すくいや太鼓を打ち鳴らす姿が早く見たいですね(≧▽≦)


嫌味を言われたことがあっても、家康のために終始尽くした人です。


徳川四天王筆頭、酒井忠次の活躍にご期待ください!

なおらん

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