井伊直政って「おんな城主直虎」で菅田将暉さんが演じてたのは記憶にあるけど、くわしいことはわからないわ。どんな人だったの?
菅田将暉さんの井伊直政像を思い浮かべるかたも多いと思います。
今回は2023年大河ドラマ【どうする家康】で板垣李光人さん演じる井伊直政について簡単にわかりやすく解説したいと思います。
【チーム家康、出演者発表!】
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) April 15, 2022
井伊谷からやってきた美少年
井伊直政:#板垣李光人
女城主直虎によって大切に育てられた井伊家の御曹司で、家臣団の新戦力として活躍。頭の回転が速く、女性によくモテる。誰に対しても不遜な物言いをするのでトラブルが絶えない。#どうする家康 pic.twitter.com/d6AdtrjLyN
どうする板垣李光人
— 2023年 大河ドラマ「どうする家康」 (@nhk_ieyasu) May 13, 2022
・役柄紹介を読んで面白いと感じたところは?
・松本さん演じる“殿”に一言!#板垣李光人 #井伊直政 #どうする家康 pic.twitter.com/JXmeRmIqmR
井伊直政という人物を少しでも知った上で、【どうする家康】を楽しんでいただけたら幸いです
- 平泉成 1983年『徳川家康』
- 渡辺輝尚 1989年『春日局』
- 篠井英介 2006年『功名が辻』
- 長森雅人 2009年『天地人』
- 東幹久 2014年『軍師官兵衛』
- 菅田将暉 2017年『おんな城主直虎』
放送前に読んでおきたい1冊
井伊直政ってどんな人?
徳川四天王、徳川十六神将、徳川三傑の一人
井伊直政は、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政とともに徳川四天王と言わた人です。
徳川十六神将の一人でもあり、本多忠勝、榊原康政とともに特に武勇に優れた徳川三傑としても有名なんだよ。
他の徳川四天王の解説記事です。
酒井忠次ってどんな人?簡単解説~徳川四天王の筆頭です
本多忠勝ってどんな人?簡単解説~傷1つ負わなかった最強武将
榊原康政ってどんな人?簡単解説~豊臣秀吉に首十万石をかけられた男
生まれ
1561年2月、今川氏の家臣である井伊直親の嫡男として、遠江国井伊谷(現:静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)近くの祝田(ほうだ・現:浜松市北区細江町中川)で生まれます。
四天王の中では一回り以上も年下なんだね。酒井忠次(大森南朋)とは親子ほどの差があるんだ。
そうなんだよ。その点からも直政の優秀さがうかがえるんだ。
父・直親は、虎松(井伊直政の幼名)の生まれた翌年の1562年、謀反の疑いを受けて今川氏真(溝端淳平)に誅殺されました。
当時、虎松はわずか2歳であったため、直盛(直親の従兄で養父)の娘に当たる次郎法師が井伊直虎と名乗り、井伊氏の当主となりました。
その後の虎松は今川から隠れるように転々とした暮らしを余儀なくされたのです。
井伊直親は「おんな城主直虎」で三浦春馬さんが演じていた人だね。
井伊直政を知るには「おんな城主直虎」を観るのもおすすめです。
徳川家康の小姓となるまで
父・直親が死んでから、虎松は寺院や縁者の元を転々として過ごすようになります。
謀反人の嫡男だから当然命を狙われたんだろうね。
今川の家臣新野親矩によって助命嘆願されて命は助かりました。
その後は出家したり、母の再婚先の松下家の養子になったりと転々としたのです。
虎松に転機がおとずれたのは1575年。
浜松城で家康に見いだされ、小姓として取り立てられることとなりました。
家康によって、井伊に戻ることを許されて、名前も松下虎松から井伊万千代となったんだよ。
初陣ー1576年芝原の戦い
1576年、武田勝頼と徳川家康が戦った芝原の戦いで初陣を飾ります。
初陣に関してはいろんな説があるようですが、徳川家康の小姓となった翌年の芝原の戦いが主流となっているようです。
この戦いで本多忠勝(山田裕貴)や榊原康政(杉野遥亮)とともに、先鋒として敵陣に突き進み大活躍したのです。
また、家康の寝ている寝所に入ってきた武田の間者を討ち取ったとも言われてるんだよね。
本能寺の変~伊賀越え
1582年、本能寺の変で信長の死の報せを聞いた家康たちは伊賀越えを決行します。
信長(岡田准一)と同盟を組んでいた家康にも追手がやってきます。
堺で遊んでいた家康たちは供の者も少なく、ろくな武具も持ってなかったんだ。それで家康は信長の追腹を切って自害しようとするんだね。
家臣たちに諫められてなんとか踏みとどまったんだよね。
この伊賀越えでは家臣たちの得意分野を生かして、地侍たちの対応にあたりました。
こうして命からがら三河へ戻ることができたのです。
井伊直政ももちろん小姓組として同行し、家康を守るために必死になって働きました。
この時の働きへの褒美として家康から孔雀の羽で織った陣羽織が贈られたと言われています。
天正壬午の乱
1582年、本能寺の変のあとの争乱で旧武田領をめぐり、徳川、北条、上杉で争うことになったのが天正壬午の乱です。
甲斐国で北条氏と戦った徳川は兵の数では劣勢だったにもかかわらず、北条氏に勝利しました。
このあとの北条氏との講和交渉に使者として行ったのが井伊直政でした。
武田の旧臣たちを徳川に引き入れることに成功し、直政も一部隊を編成することとなり、旗本先手役の侍大将となったのです。
直政の部隊は家康の命で武田の兵法を引き継ぎ、山県昌景(橋本さとし)の朱色の軍装を継承し、井伊の赤備えと言われるようになったんだよ。
小牧・長久手の戦い
1584年、秀吉(ムロツヨシ)と戦った小牧・長久手の戦いで初めて赤備えを率いて武功を挙げます。
直政は小柄だったにもかかわらず、赤備えをまとい兜には鬼の角のようなものをあしらって勇猛果敢に戦う姿は、井伊の赤鬼と言われ恐れられたのです。
関ヶ原の戦い~井伊直政の最期
1600年、関ケ原の戦いでは本多忠勝と共に東軍の軍監に任命され、東軍指揮の中心的存在となりました。
直政は戦いの前に、全国の諸将たちを西軍に取り込む裏工作をしていました。
また先陣は福島正則と決まっていたにもかかわらず、直政の抜け駆けによって戦闘が始まったとされています。
敵中突破を試みた島津軍を追撃し島津豊久を討ち取ったけど、その時に銃撃を受けてしまったんだ。
関ヶ原の戦い後、近江国(滋賀県)佐和山城に移り18万石を与えられたが、2年後の1602年、佐和山城で亡くなります。享年42歳。
関ケ原の戦いで受けた鉄砲傷のせいとも、今でいう過労死で亡くなったとも言われていて死因は定かではありません。
井伊直政ってどんな人? まとめ
今回は【どうする家康】で板垣李光人さんが演じる井伊直政について簡単に紹介しました。
本多忠勝や榊原康政とはあまり仲が良くなかったとか、とにかく厳しい人で家人が逃げてしまったりしていたと言われている人物です。
容姿は端麗で性格がきつい井伊直政を、板垣李光人さんがどのように演じてくれるのかとても興味が湧きますね。
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