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伊東祐親とは?大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のじさまについてわかりやすく解説

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大河ドラマ『鎌倉殿の13人』もいよいよスタートしましたね。

笑いどころをふんだんに盛り込んだ三谷作品は、やはりグイグイ引き込まれていきます。

ところで第1話で出てきた浅野和之さん演ずる「伊東祐親」(いとうすけちか)はみなさんご存じですか?

学校で学んだ日本史では聞いたことない名前だね

今まで学んできた日本史では聞きなれない名前ですね。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を観るにあたり、伊東祐親がどんな人物だったのか少しでも知っておくと、おもしろさが倍増すると思います。

なおらん

今回は幼少期から伊豆に30年ほど住んでいたことのある私が、伊東祐親について簡単にわかりやすく解説しますので、どうか最後までおつきあいくださいませ。

\ガイドブックがあるともっとドラマを楽しめるよ/

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目次

伊東祐親とは?大河ドラマ『鎌倉殿の13人』のじさまについて

伊東祐親(じさま)とはどんな人?

伊東祐親とは平安時代の武将で当時伊豆で一番の勢力をもっっていた豪族です。

伊東祐親の家系

藤原不比等を祖とする藤原南家の流れを汲む日本の氏族の一つ工藤氏の6代目。

伊東氏の祖である工藤祐隆(くどうすけたか)の孫で河津氏の祖。河津祐親とも言われます。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の主人公 北条義時小栗旬 )の父北条時政(坂東 彌十郎)が伊東祐親の娘をめとっているので、義時は伊東祐親の孫にあたります。

よって「じさま」と呼ばれているのです。

なおらん

出自は藤原家の流れを汲むエリート氏族だったってことのようね

伊東祐親が治めていた伊豆国伊東が現在の静岡県伊東市にあたります。

伊東祐親と平清盛との関係

親平家である伊東祐親は平清盛からの信頼を受け、平治の乱(1159年)に敗れた源義朝の嫡男で伊豆に配流された源頼朝の監視を任されます。

伊豆国は(豆州とも言った)常陸、佐渡、阿波の国々と共に重罪人を流す遠流の国とされていました。流人たちの生活はわりあいに自由だったと言われ、流人たちによって都の文化がもたらされたといってもよい。ー伊東むかし物語より

なおらん

平清盛にとって親平家で義に厚く力のある伊東祐親は、源頼朝の監視役にはうってつけだったというわけね。

そして源頼朝の伊豆配流は伊東祐親にとって悲劇の始まりへと流れていくのです。

伊東祐親の娘八重と源頼朝

伊東祐親が北条時政と共に大番役(京の警護)で上洛していた3年の間に娘八重新垣結衣)が源頼朝大泉洋)と通じ子供・千鶴丸をもうけるまでの仲となってしまいます。

この例からも伊豆での流人は自由な生活ができていたことがうかがえます。

京から戻ってきた伊東祐親はもちろん激怒し、逃げ回っている源頼朝の探索を続けます。

大河ドラマ『鎌倉殿の13人』はこのあたりから物語が始まっていきます。

平家の天下に源氏の嫡男の子を産むなど平家に弓を引くも同じこと。

伊東祐親はまず千鶴丸(せんつるまる)を松川の奥でふしづけにするように家来へ命じます。

ふしづけとは生き身に重石を抱かせ、それをす巻きにして川に沈める処刑法。

残忍な性格がうかがえるわね。

それほど平家を恐れていたってことでもあるね。

千鶴丸を殺され頼朝との仲も引き裂かれた八重姫は世を儚んで自殺したとも、頼朝を追い北条の地まで行き追い返されて自殺したとも言われてます。

(ドラマでは江馬次郎に嫁がされていますが、八重姫が亡くなったのはこのあとのことのようです。実際八重さんに関して詳しく書いてある文献はないようです。)



平清盛でさえ敵将の子頼朝の命は救ったのに、危険とあらば身内をも容赦しない惨い性格であったという面と、家を守るためにはどんなこともするという領主としての覚悟みたいな面もうかがえます。

とにかく強くて恐ろしかったのは事実のようだね。

ドラマでじさまが来た!と皆が恐れているのもわかるね。

伊東祐親と北条家の関係

伊東祐親は北条時政に娘を嫁がせているので、時政にとっては舅様、義時にとっては祖父にあたります。

その伊東祐親と北条家は源頼朝をめぐって敵対するようになってしまいます。

最期まで平家に忠義を尽くす〝じさま″と政子小池栄子)と頼朝を結ばせ源氏側の重鎮となってしまう北条家。

ここから身内同士の悲しい戦いへと向かっていくのです。

これからドラマ序盤のみどころとなっていくことは間違いないでしょう。

伊東祐親(じさま)の最後

工藤祐経との所領争い

『鎌倉殿の13人』で坪倉由幸さんが小汚い格好で熱演していた工藤祐経(くどうすけつね)は、上京している間に伊東祐親に伊東荘を奪われ、祐親の娘である嫁とも離縁させられてしまいます。

このことを深く恨んだ祐経は1176年郎党に命じて狩りの場にいた祐親を襲撃させます。

この時祐親を狙った矢は外れ、嫡男河津祐泰(かわづすけやす)(山口 祥行)が射殺されます。

これがのちに祐親の孫たちが起こす曽我兄弟の仇討ちの原因となっていくのです。

源頼朝の挙兵

1180年に源頼朝が平家打倒の兵を挙げると伊東祐親は平家軍として迎え撃ちます。

所領内では平家をよく思わないものも多かったが、義に厚い伊東祐親は平家軍として戦うのです。

伊東祐親の最後

石橋山の戦いでは勝利したものの、源頼朝が関東武士をまとめ力を巻き返したあとは形勢が逆転します。

富士川の戦いの後捕らえられ、娘婿の三浦義澄(みうらよしずみ)(佐藤 B作)に預けられ、 義澄による助命嘆願が受け入れられるが、これを潔しとせず、自害して果てる事となります。

身内同士の戦いの悲しい結末です。

なおらん

最期まで義に厚い人だったのね。

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