大河ドラマ大好きアラカン主婦の雑記ブログ
PR

【鎌倉殿の13人】菅田将暉演ずる源義経登場!若くして散る悲劇の武士

当ページのリンクには広告が含まれています。

【鎌倉殿の13人】の第7話の最後に頼朝の元へ向かおうとしている義経が出てきましたね。

8話では頼朝の元へ向かう道中で、仕留めたウサギの取り合いで、卑怯なまねをして相手を射殺してしまうという伏線がはられました(>_<)

義経の戦いの姿勢が垣間見えたシーンとなりました。



第8話ではまだ頼朝との対面を果たしていませんが、源平合戦での中心人物となる人物です。

菅田将暉さんが演ずる悲劇の武士、源義経は一体どのような人物だったのでしょうか。

今回は源義経についてちょっぴり掘り下げていきたいと思います。

\ガイドブックがあるともっとドラマを楽しめるよ/

スポンサーリンク
目次

源義経の出自~母は常盤御前

中尊寺所蔵の義経像
出典 Wikipedia 中尊寺所蔵の義経像

源義経は頼朝の異母弟です。

源義朝の9男として生まれ、幼名は牛若丸と呼ばれていたのは有名な話。

母は常盤御前で近衛天皇の中宮・九条院(藤原呈子)の雑仕女で、非常に聡明で美しい女性だったようです。

『平清盛』では武井咲さんが演じていたのが、記憶に新しいところではないでしょうか。
(ちなみにこの時の義経役は神木隆之介さんでした)

平治の乱~奥州平泉に下るまで

平治の乱(1159年)で父義朝が敗死すると難を逃れるために、常盤御前は、自分の子である今若と乙若、牛若丸を連れて大和国(奈良県)へ逃げます。

その後常盤御前は京へ戻り、公家の一条長成(いちじょうながなり)と再婚するのですが、今若と乙若は出家して僧として生きていくこととなります。

これは離れ離れになっても、子供の命だけは助けようという常盤の深い愛がさせた苦渋の決断だったのです。

牛若丸は鞍馬寺へ

鞍馬寺
出典 Wikipedia 鞍馬寺

牛若丸は11歳の時に鞍馬寺の覚日和尚へ預けられ、遮那王(しゃなおう)と名乗るようになります。

みなさん、鞍馬天狗という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか。

牛若丸は鞍馬寺にいた幼少期に天狗に兵法や剣術を習ったという言い伝えがあるんだよ。

さすがに、これは創作された話のようですが、義朝の遺臣が身を隠すために天狗の面を被っていたという説や平家に不満を持っていた鞍馬寺の僧ではないかと言われているようです。

鞍馬寺を出奔し、奥州藤原秀衡を頼り平泉へ

遮那王は僧になることを拒否し、鞍馬寺を出奔し奥州藤原氏宗主の藤原秀衡を頼って平泉に下っていきます。

  • なぜ藤原氏を頼ったのでしょうか?

秀衡の舅で政治顧問であった藤原基成は一条長成の従兄弟の子で、その伝をたどった可能性が高いという説があります。

なんともピンとこない遠い姻戚関係ではありますが、一条長成は母常盤御前の再婚相手。

このことからも、母常盤御前が関与していたのではないかと思われます。

兄頼朝との対面

1180年に頼朝が挙兵すると、九郎義経も兄の元へはせ参じます。

第7話の最後では藤原秀衡に別れを告げ、弁慶たちを引き連れて奥州を出ようとするところで終わりましたね。

ちなみに弁慶は中日ドラゴンズで活躍した郭源治さんの息子佳久創(かくそう)さんです




義経は富士川の戦いで勝利した頼朝と黄瀬川の陣(静岡県駿東郡清水町)で涙の対面を果たします。

頼朝と義経が平家打倒を誓ったとされる対面石
出典 Wikipedia 頼朝と義経が平家打倒を誓ったとされる対面石

一度も一緒に暮らしたことのない異母兄に、初めて会った義経の気持ちはどうだったのでしょうか。

きっと同じ父を持ち、父のなしえなかった野望を引き継いで立ち上がった兄に対する憧れや、家族に会えた喜びが大きかったに違いありません。

兄のために戦おう、兄のために平家を討とうと。



他の者たちが、坂東武者の世を作るという壮大な夢に向かって戦っている中、義経だけは兄上のため、兄上に喜んでもらいたいという思いが強かったのではないでしょうか。

頼朝は、義経ともう一人の弟の範頼に平家討伐の指揮を委ねるようになり、自身は鎌倉に残り東国の経営に専念することになります。

源平合戦での義経の活躍

源平合戦の中で特に有名な戦いが一の谷の戦いと、平家滅亡を決定づけた壇ノ浦の戦いです。

それぞれで義経はどんな活躍を見せたのでしょうか。

福原へ落ち延びる平家と木曾義仲の死

木曾義仲青木崇高)によって西国に追いやられてしまった平家は、安徳天皇と三種の神器を奉じて福原へ落ち延びます。

最終的に木曾義仲は源頼朝と対立し、宇治川の戦いで命を落とすことになります。

元々親の代から敵同士であった義仲の快進撃は、頼朝にとって目の上のタンコブだったのではないでしょうか。

いとこといえども邪魔なものは消すという、この時代の武士特有の行動によるものです。


このごたごたの後、再び平家追討の命が源義経と源範頼軍に出されるのです。

一の谷の戦い~鵯越の逆落とし

鵯越の逆落とし
出典 Wikipedia 鵯越の逆落とし

平家を攻めあぐねている中、義経は地元のものに「この断崖絶壁は下りることはできるのか」と聞きます。

すると「この道は鹿なら渡れるけど馬では無理ではないか」と答えが返ってきます。

これを聞いた義経は「鹿が渡れるなら馬でも大丈夫っしょ!」と考え、奇襲攻撃を強行するのです。

こういう突拍子もない発想が、天狗に兵法を学んだという逸話につながっているのかもね。

結果、平家軍は撹乱し、それを見た範頼軍が総攻撃をしかけ勝利へと導いたのです。

この一の谷の戦いで平家の主だった人々が討ち取られ、平家滅亡が確定的になったと言われています。

三種の神器を奪還せよ

三種の神器
三種の神器

安徳天皇と三種の神器と共に西国へ落ち延びた平家。

その間、都では安徳天皇在位のまま、後鳥羽(安徳天皇の弟宮)が天皇へ即位しました。(平家滅亡までの2年間天皇が2人という重複期間があるわけです。)

しきたりを重んじる宮中では三種の神器のない即位はありえません。(とはいえ、無理矢理即位させてしまっているのですが、、、)

なんとしてでも三種の神器をとりかえさねばなりません。

頼朝は平家追討と共に三種の神器の奪還を命じます。


壇ノ浦の戦い~武士にあるまじき戦法

元々水軍に自信のあった平家は緒戦は潮の流れも味方し、源氏を圧倒します。

業を煮やしたかどうかはわかりませんが、ここで義経は武士にはあるまじき戦法をとったのです。

敵船の漕ぎ手を撃ち殺すという、当時の武士のルールとしてはやってはいけない卑怯な手を使いました。(第8話の中でも卑怯なまねをしてウサギを奪っていましたね)

これにより、戦は長引き潮の流れが変わったため、形勢は逆転。

平家軍の中の寝返りもあり平家の最終的な敗戦となっていきます。

安徳天皇も二位尼に抱かれ、三種の神器と共に海の中へと沈んでゆくのでした。

これにて平家は滅亡となりました。

三種の神器とは皇位とともに歴代の天皇に伝わる宝物で、八咫鏡(やたのかがみ)と天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)があります。
海中に沈んだ三種の神器ですが、源氏は必死になって探したにもかかわらず、天叢雲剣だけは最後まで見つかりませんでした。しかし、熱田神宮にある剣が本物だという説もあり、謎に包まれたままとなっています。

八艘飛び

平教経と相対した時に義経は2丈(6.6m)ほど離れた船を次々と飛びわたって、追跡をかわしたとされています。

平教経は、こんなの相手にして勝てるわけがないと思っただろうね。



人間業とは思えない戦いぶりが、天狗に教わったという所以となっているようです。



菅田将暉さんの躍動感あふれる義経の戦いを、三谷幸喜さんがどう料理していくのかとても楽しみな1つです。

義経の最期

源平合戦で数々の戦功を挙げた義経ですが、最後は頼朝により義経追討の命が下ってしまいます。

頼朝の許可なく官位を受けたり、平家追討にあたって軍監として頼朝に使わされていた梶原景時(中村獅童)の意見を聞かず、独断専行で事を進めたことなどが、頼朝の逆鱗にふれたようです。

義経は藤原秀衡(田中泯)を頼りに奥州平泉へ逃げます。

しかし、秀衡が亡くなると後を継いだ泰衡に頼朝からの義経追討の命令が再三届くのです。

これに屈した泰衡は衣川の戦いで義経の郎党らを討つのですが、義経は戦うことをせず、自害して果てる事になります。

31歳という若さでした。

兄弟げんかというにはあまりにも壮大で悲しい結末となってしまうのでした。

2022/3/1 第6次出演者発表

公式より3/1に第6次出演者発表というアナウンスがありましたね。

今度こそ静御前の発表があるのか。

13人の残りの3人はどうなるのか。

藤原泰衡は?平教経は?

今度はどんな趣向をこらした発表になるのか。

予想をしながら楽しみにして待つことにしましょう!

菅田将暉演ずる源義経 まとめ

今回は菅田将暉さん演ずる源義経がどんな経緯をたどってきたのか、源平合戦ではどんな活躍をしたのか、予習復習のつもりで読んでいただけたらと思います。

『おんな城主直虎』で井伊直政役をやって以来の2度目の大河出演となった菅田将暉さん。

三谷幸喜さんによってどんな味付けがされるのか。

はつらつとしたあるいはダークな菅田義経を演じてくれたらと願ってます。

今回の私の注目点
なおらん

政子が鎌倉入りする日を1日延ばせという頼朝に全成が、「庚虎に屋移した家には不幸が訪れる、親子の縁薄く、主が不慮の死をとげる。」と忠告するが、頼朝は「暦に振り回されるのもどうかと思うぞ。」と聞き入れません。全成の忠告に従っていれば悲劇を生むことはなかったのかもしれませんね。

\U-NEXT 31日間無料トライアル 下のボタンから申し込みできます/

ランキング参加中!
ポチっとしていただけたら励みになります!(^^)!

PVアクセスランキング にほんブログ村

この記事が気に入ったら
いいね または フォローしてね!

よかったらシェアしてね!

コメント

コメントする

目次