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【どうする家康】第33話あらすじ・感想考察「裏切り者」|忠臣・石川数正の出奔

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家康と石川数正の嫌な予感は的中した。

秀吉は標的を信雄一人に絞り、その家臣を次々に調略していったのでした。

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目次

【どうする家康】第33話 あらすじ

信雄は秀吉の執拗な攻撃に耐えきれず、追い詰められて秀吉の陣を訪れるのでした。

和睦

秀吉と秀長に酒を勧められ、盃を受け取りつつ、信雄はおずおずと確認します。

まことに、我が所領を安堵するのじゃな。

秀吉は、尾張と伊勢の北半分を信雄の所領としてくれると言うのです。

こうしてまた酒を酌み交わすことができて嬉しいと、涙ながらに言う秀吉の大仰な態度に信雄はあっさりとほだされるのでした。

戦はしまいでございます。ご配下の徳川殿もただちにここへ来ていただくのがようございます。

秀長がここぞとばかりに言い出します。

秀吉

人質も連れてきたほうがええわ。

秀吉

いや、人質ってのは聞こえが悪い。養子じゃ。徳川殿のご子息を我が養子としてえ。そうお伝えくだせえ。ええな?

人質と聞いてすぐに返事が出来ないでいる信雄に、秀吉はにやりと笑いながらすごみます。

秀吉

ほんでねえと、滅ぼしてまうで。

11月12日、信雄は秀吉と和睦してしまったのでした。

信雄からの書状

家康

勝手なことを!

信雄からの書状を読んで、怒りに震える家康です。

勝利をおさめたのになぜ和睦せねばならぬのかと直政は不満を言います。北条と組めばまだ戦えると。

酒井左衛門尉忠次

そうもいくまい。総大将が和睦した以上、我らは戦う大義を失った。受け入れざるを得ん。

本多正信

ひとまず、形の上だけでも和議を結び、秀吉の出方を見るしかないでしょうな。

左衛門尉と正信は静観の構えでいます。

石川数正

殿が行ってはなりませぬ。養子も断りましょう。

数正が提案すると、交渉に長けている数正を見込んで家康が言います。

家康

行ってくれるか、数正。これはあくまで、かりそめの和睦じゃ。秀吉に屈することは断じてない。

家康は家臣団にそう宣言し、数正はさっそく談判に出かけたのでした。

養子、どうする?

戻ってきた数正は、家康の前でひれ伏して言います。

石川数正

満足な結果を得られず、申し訳ございませぬ。

秀吉は、家康の男児を一人、子のいない自分の養子にしたいというのが和議の条件でした。

養子とは体のいい人質なのです。

家康

面を上げよ、そなたより談判に長けた者は、我が家中におらん。

すると数正は小箱を出し、蓋を開けて見せました。中には金塊が入っています。

石川数正

秀吉に、こんなものまで押し付けられました。

酒井左衛門尉忠次

この堅物を金で釣ろうとはな。我ら徳川家中の絆の強さを知らんのだ。哀れな奴よ。

本多正信

して殿、養子の件、いかがいたしましょう。

於愛の産んだ長丸と福松は、あまりにも幼い。

そこで白羽の矢が立ったのは、お万が産んだ於義伊でした。

於義伊を養子に

此度のお話し是非にもお受けしとう存じます。

於義伊を連れてきた於万は家康に告げます。

家康

すまぬな…於義伊の身の安全には万全を期する。

さようなことはご無用。もし再び羽柴殿と事を構える折には、この子のことは一切気になさいませぬよう。

お万が覚悟を見せると、於義伊も私のことは捨て殺しとなさってくださいと覚悟を固めています。わずか11歳の子です。

お万はこれまで、いずれこの子が殿のお役に立つ日がくると信じて育ててきたのでした。


於義伊を大坂に連れて行く重要任務にあたり、数正は息子・勝千代に言います。

石川数正

於義伊様のお供として、そなたに行ってもらう。

承知しました、父上。

良いかと訊ねる数正に鍋は、取り決めを交わした者の勤めだと言って武家の妻らしく答えるのでした。

関白

1585年(天正13年)7月、家康にとって驚天動地の出来事が起きます。

秀吉が公家の最高位である関白に任命されたのです。

家康

武士がなれるものなのか?聞いたこともないぞ。

酒井左衛門尉忠次

これで名実共に、信長を超えました。

左衛門尉の言葉に身震いする家康です。


この件はたちまち城中にも知れ渡ります。

またも数正が挨拶に行くそうだと聞き、平八郎や小平太、直政は不安を隠せません。

これまでも不利な条件を突きつけられてばかりだからです。

しかし家康は、今回も数正に代わりを任せて大坂に送ったのでした。

秀吉VS数正

秀吉

よう来たの、数正。いつ見てもええ男っぷりだわ。

秀吉の誉め言葉に表情をぴくりとも崩さぬ数正です。

秀吉

大坂に屋敷を与える。こっちにおれ。

秀吉と秀長が畳みかけてくるのを、巻き込まれてなるものかと、数正は硬い口調で答えます。

石川数正

恐れながら、我が主は徳川三河守でございます。

かたくなな数正に業を煮やした秀吉は少しばかり声を荒げます。

秀吉

聞き分けのねえことを言うたらいかん。もう一戦やるか?

それでも数正は、徳川と北条が手を組んでいれば、関白殿の軍勢といえども、決して負けることはないと強気です。

秀吉

北条のう…だが、北条とは領地の件でいざこざがあると聞いたような…。

秀吉はあからさまに脅しをかけてきます。

しかし、数正は相変わらず無表情のままです。

次第にいら立ち、口調も荒くなる秀吉です。

そこへ、秀吉の正室・寧々がやってきます。

さような物言いはお控えませ。勘違いなさってはいけませぬぞ、いち百姓の出であることをお忘れあるな。

寧々の言葉に秀吉は冷静さを取り戻し、声を和らげます。

秀吉と寧々のやり取りに数正は驚きます。

海千山千の秀吉を簡単に御してしまうとは、いったいどのような女性なのか。

お初にお目にかかります。寧々と申します。我が夫も乱世を鎮めたい一心なのでごぜえます。もう皆、戦はこりごりでごぜえますからな。

そう言って寧々は、奥方様へと小さな箱を持ってきます。中にはつげの櫛が。

お互い、そろそろ重い具足を脱ぐ時ではござらんかな。

秀長が言うと、秀吉は最後に数正に告げます。

秀吉

いつでもわしんとこへ来やあせ。…とりあえず真田に気ぃつけや。

上田合戦

秀吉に勝つためには、北条と力を合わせることが必須でした。

しかし、難題が残っていました。

旧武田領をめぐる北条との和睦の際、真田領の沼田を明け渡す取り決めをしたが、領主の真田昌幸(佐藤浩市)は、説得に応じぬばかりか、徳川と手を切り、越後の上杉と手を結んだのでした。

家康に真田征伐を命じられた大久保忠世、鳥居元忠、平岩親吉らは信濃にある上田城を攻めます。

しかし、昌幸と二人の息子・信幸(吉村界人)と信繁(日向亘)は、武田信玄・勝頼親子に仕え、武田滅亡後も謀略を巡らし、領地を守り続けた強者です。



信玄の権謀術数を最も受け継いでいると言っても過言ではありません。

真田信繫

父上、徳川勢、攻めかかってまいりました!まもなく、大手門!

報告を聞いた正幸は碁盤から顔を上げて言います。

真田正幸

城内に引き込んで閉じ込めよ!皆殺しにせい!



二か月を過ぎても上田城は落ちません。

秀吉が真田と結んだという噂もあり、家康は兵を引き上げるよう命じたのでした。

数正、出奔

家康は、前方に秀吉と信雄、背後には真田、八方ふさがりの状態に追い込まれました。

石川数正

すべては秀吉の手のひらの上。殿の上洛と、さらなる人質を求めております。

秀吉は破竹の勢いで四国と北国を平定し、敵だった者から国を取り上げ、遠方に転封し次々に国替えを行っていました。

若い家臣たちは岡崎決戦をすると意気込んでいます。

家康

これ以上の人質は送れん。敵を切り崩し岡崎決戦に備える。一同異存ないか。

家康の決断に多くの家臣たちは同意したが、数正だけは違っていました。

石川数正

秀吉の元へ参上なさってはいかがでございましょう。

繁栄を極めた大坂の町と巨大な大坂城を目の当たりにした数正は、秀吉の天下は崩れぬと確信していたのです。



数正の態度に、平八郎たちは激しく反発します。

直政は、数正の謀反とまで口にし刀を握ります。

左衛門尉らが慌ててとりなすが、さすがに家康も色をなすのでした。

家康

数正、わしは秀吉に及ばぬか?秀吉に劣ると申すか?

石川数正

欲しいものがあれば手だてを選ばぬ。関白までも手に入れた。…あれは化け物じゃ。…殿は化け物にはかないませぬ。

数正は秀吉の臣下にはいるべきだと告げます。

家康

秀吉が怪物ならば退治せねばならん。一同支度をせえ。

石川数正

従えません!岡崎城代としてお断りします!

家康

ならば岡崎城代の任を解く!


家康の今があるのは、間違ったことを厳しく諫めてくれた数正がいてくれたおかげだということは、家康も重々わかっています。

しかし、家康は国を守らなければならないのです。



家康と数正が激しくぶつかり合った後、左衛門尉のとりなしもあって、冷静になった家康と数正は話し合います。

家康は心を尽くして数正を説得します。

家康

そなたの言い分はわかっておるつもりじゃ。だが、わしはこうするしかないんじゃ。勝つ手立てが必ずやある。そなたがいれば…そなたがいなければできぬ。

石川数正

あの、弱く優しかった殿が、かほどに強く勇ましくなられるとは、さぞや…さぞやお苦しゅうことでございましょう。

家康

苦しゅうことなどあるものか。わしは戦なき世を作る。この世を浄土にする。そう心に決めてきた。苦しくなどない。

石川数正

そう、お誓いなさったのですな。亡きお人に。

家康

王道をもって覇道を制す。わしにはできぬと申すか、数正!

石川数正

危うく忘れるところでござった。…殿を天下人にすることこそわが夢であると。

数正は覚悟を決め、もうひとたび老体に鞭打って大暴れすると誓うのでした。

石川数正

殿、決してお忘れござるな。私はどこまでも殿と一緒でござる。

家康も数正の決意に涙を流すのでした。


「関白殿下是天下人也」

そんな書き置きといびつな木彫りの仏を残し、数正が妻子と家臣を連れて岡崎から出奔したのは、その数日後のことでした。

つづく…

\ガイドブックがあるともっとドラマを楽しめるよ/



【どうする家康】第33話 感想考察

「裏切り者」

今回は裏切り者と呼べる人物が三人いましたね。

織田信雄真田昌幸と石川数正です。

織田信雄

秀吉に執拗に攻められこらえきれなくなって、秀吉と勝手に和議を結んでしまう信雄ですが、まあ、総大将なんだから己の判断で和議を結んでも文句は言えないのよねえ、本来は。

しかし、安土城を追い出され家康に泣きついてきたのは信雄の方なんだから、人として一言家康に相談すべきではあったわよね。

刺し違える覚悟はあるのかと聞かれ無論と答えたくせに、自分がピンチになるとホイホイと尻尾振って寝返るあたりまったく信用できない男なのよ。

自分が生き延びることしか考えてない信雄は、武士の風上にも置けんわ😤
ほんまに信長の子なのか⁉

と、悪態ついてしまったけど、武家としての織田家を残してくれたのは、このぼんくら信雄なんだよなぁ。
人間、何が功を奏すかわからんもんだわ。

真田昌幸

真田昌幸の裏切りはいたしかたないですね。

徳川に臣従していたのに、勝手に北条との取り決めを交わし沼田を北条に渡せと言われたら、昌幸がぶちぎれるのも納得です。

ただ、家康にとっては相手が悪すぎましたね。
怒らせてはいけない相手を怒らせてしまいました。
戦上手とは真田昌幸の代名詞と言えます。
味方になればこれほど心強い武将はいなく、絶対に敵にしてはいけない相手なのです。
ましてやバックに秀吉がついてしまったら勝てる見込み0ですわ😱

家康は今後、とことん苦汁を飲まされるわけですが、真田を離反させてしまったことが大きな失敗の一つとなったことでしょう。

この辺の詳しい話は「真田丸」を見ればよくわかるはずなんだけど、配信されてないのよねぇ🥲
NHKさん「真田丸」の配信を切に願います‼️

石川数正

徳川家康の歴史の中で、一番の謎だったのが忠臣・石川数正の出奔です。

交渉人として徳川のために、百戦錬磨の武将たちと渡ってきた忠臣が、秀吉の元へ出奔したのです。
わけわからんですよねぇ。

前回、今回と若い家臣たちとの間に考え方の違いや壁ができてしまっていく過程の描写が丁寧に描かれていました。
平八郎、小平太、直政の若さと数正や左衛門尉の老獪さの差の描き方は、わかりやすく見事でした。
乱世の終わりの様相が見えている数正と見えてない者たちの差だったのでしょうね。

交渉人として秀吉と何度も会い、その力の大きさを目の当たりにした数正は、殿や徳川を思って自分が意見するしかないと思っての行動だったのでしょう。


家康と口論となり岡崎城代の任を解かれた時に、数正の心は決まったのかもしれません。
自分が徳川から離れ覚悟を見せなければ、わかってもらえないと思ったのかもしれません。
身をもって徳川を救うための出奔だったのではないでしょうか。
出奔に際し、小さな仏像を置いていったのも殿の身を案じ殿のことを思ってのことだと思うのです。
自分の代わりに殿を守ってくれと…。
秀吉や寧々からもらった金塊や櫛を置いていったのも己の欲で出奔するのじゃないと示しているのでしょう。

この考えは40年前の「徳川家康」と同じです。
こちらも石川数正出奔の回は胸熱でした。

徳川の機密情報をすべて知っている数正が、秀吉の元へ出奔してしまったのだから、徳川としてはこれからが大変なのです。
来週は、家康がこの危機をどう乗り越えていくのかが見どころとなりそうですね。

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なおらん

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