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【光る君へ】第29話感想考察・あらすじ「母として」|大切な人を亡くすまひろと道長

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あっという間に賢子は歩くようになっていて、宣孝のパパぶりが孫を可愛がるじじ様のようでほんわかした冒頭シーン。

数分後には北の方の使者から逝去の知らせが届くという終わり方だったが、豪放磊落な宣孝の最後を笑顔で終わらせてくれたのは、視聴者にとっては救いだったかもしれないな。

引用元 光る君へ公式ページ

第29回人物相関図

引用元 https://www.nhk.jp/p/hikarukimie
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目次
あらすじリスト
  • ききょうがまひろを訪問
  • 為時官職を失う
  • 宣孝が死去
  • 道長から為時に嫡男・田鶴の漢詩の指南役の申し出がある
  • いったんは断った為時だが、まひろの説得で申し出を受ける
  • 道長と倫子の思いがすれ違っていく
  • 詮子の助言で、彰子が敦康親王を養育する
  • 病の床に臥す詮子の願いで、道長は伊周を復位させる
  • 詮子が死去する
  • まひろ執筆を始める
引用元 光る君へ公式X

長保3年(1001年)の正月、宮中では一年の無病息災を祈る御薬の儀が行われました。

宣孝はこれに参列後、まひろと賢子のもとを訪れ、内裏の様子を話して聞かせます。

一条天皇は憔悴しているとの噂だが、道長は回復し息災だったと言います。



その後、ききょうがまひろを訪ねます。

定子の死後、ききょうは定子の遺児の脩子、媄子の世話をしながら『枕草子』を書き進めていました。

もともと、定子を慰めるために四季折々のことを書いてみたらというまひろの勧めで始めたものだったので、まひろに読ませようと持参してきたのです。

そこには、定子が宮中で幸せに暮らしていた頃の輝くような日々が書かれていました。

生き生きとした描写に感心しながらも、まひろは、定子の影の部分も知りたいと告げます。

人には光もあれば影もあります。人とはそういう生き物なのです。そして複雑であればあるほど魅力があるのです。

だがききょうは定子の華やかな姿だけを人々の心に残したいと言うのです。

そして道長に一矢報いたいという気持ちもあるのだと語ります。

定子が心身ともに弱ってしまったのは道長のせいだと、ききょうは怒りを募らせていました。

まひろ様もだまされてはなりませんよ。左大臣は恐ろしき人にございます。

引用元 光る君へ公式X

まひろの父・為時は、この年の正月の除目で、再び越前守に任ぜられることを望んでいました。

だがそれは叶わず、官職を得ることはできまでんでした。

宣孝は、為時が次の官職を得るまでは自分が経済的に支えると言い、まひろを安心させます。

翌朝、宣孝は国守を務める山城へと向かいました。


この年の5月、宣孝の北の方がまひろに使者をよこし、宣孝が急病で亡くなったと知らせてきました。

弔いの儀もすでに済んでいると聞かされたまひろは、茫然とするのでした。

後日、百舌彦が道長の使いとしてまひろを訪ねてきました。

越前での役目を終えた為時への労いと、夫を亡くしたまひろへの追悼の言葉を預かってきたのです。

そして道長は為時に、自身の嫡男・田鶴への漢詩の指南役を依頼してきました。

官職を失った為時一家を案じての配慮でした。

しかし、為時はこれを拒みます。

私は、左大臣の御父君、亡き関白・藤原兼家様にも、お雇いいただいていたことがございます。されど、正式な官職を得るまで堪えきれなかった己を恥じております。

為時は非礼を詫び、できれば次の除目の際に力添えをしてほしいと頭を下げるのでした。


百舌彦が帰ったあと、まひろは父と話をしました。

為時は、まひろの心中を思うと、道長の北の方の嫡男の指南役になることはできないと言うのです。

しかしまひろは、今後の生計のために道長の申し出を受けてほしいと為時に頼みます。

賢子にひもじい思いをさせないためにも、父上、お願いいたします。

まひろの説得により、為時は指南役を引き受けました。

この頃倫子は、高価な品々を携えては、彰子がいる内裏の藤壺に通い詰めていました。

そんな倫子に道長は、母親がいつもいたのでは一条天皇が彰子を訪ねにくくなると諭します。

帝のお渡りがないのは、私のせいですの?

一条天皇にとって好ましい場となるよう、知恵を絞って藤壺を彩っているのは自分なのだと倫子は怒ります。

彰子を中宮の座につけようと尽力していた頃、道長と倫子の思いは一つだったが、道長が明子のもとで倒れてからは、すれ違いが生じるようになってしまったのです。

引用元 光る君へ公式X

この頃、詮子は体調を崩していました。

しかし、そんな折でも一家の行く末を思い、道長に助言します。

定子の忘れ形見・敦康親王を、彰子に養育させるのよ。昔、父上が、懐仁を東三条殿に人質に取ると仰せになったの。こたびもそれね。

父上と同じことはしたくありませぬ。

お前はもう父上を超えているのよ!

詮子の助言を受け、道長は一条天皇に、敦康親王を彰子に託すことを進言します。

定子はどう思うであろうな…

亡き定子を気遣う一条天皇に、道長はこう告げます。

敦康親王様がお健やかであれば、亡き皇后・定子様のご鎮魂にもなりまする。

分かった。敦康を中宮・彰子に託そう。

引用元 光る君へ公式ページ

その後まもなく敦康親王は、道長の後見を受けて彰子と藤壺で暮らすことになりました。

引用元 光る君へ公式X

伊周は、嫡男である松に舞の稽古をつけるようになっていました。

隆家は、舞の稽古は一家再興のためだと伊周が松を叱責するのを見て、兄を諫めます。

左大臣の権勢はもはや揺るがぬぞ。内裏に官職を得るまでは、とりあえずひっそりしているほうが利口だと思うがな。

しかし、伊周の道長への怒りは激しく、隆家の言葉を聞き入れません。

そこに、ききょうが伊周を訪ねてきました。

在りし日の定子の栄華が長く人々の心に残ることを望み、『枕草子』を宮中に広めてほしいと願い出ます。

伊周はこれを快諾しました。

引用元 光る君へ公式X

10月9日、土御門殿で詮子の40歳を祝う「四十の賀」が行われました。

道長が主催し、一条天皇が詮子に祝いの言葉を述べます。

この日は田鶴と巌がそれぞれ童舞を披露したのだが、巌の舞は躍動感にあふれ、誰の目にも田鶴より優れていました。

すると田鶴が泣き出したため、道長は田鶴を叱って泣きやませ、一同に詫びます。

せっかくの興に水を差してしまいました。お許しあれ。これより酒席に移ります。

その時詮子が苦しげにうめき、倒れこみます。

駆け寄ろうとする一条天皇を詮子が制して言います。

私に触れてはなりませぬ。病に倒れた者に触れ穢れともなれば、政は滞りましょう。あなた様は帝でございますぞ!



これ以来床に伏した詮子は道長に、伊周の位を元に戻してほしいと頼みます。

一条天皇と敦康親王のために、伊周の怨念を鎮めたいと言うのです。

道長はこれを聞き入れ、伊周は元の位に戻されました。

しかし、詮子の命はほどなくして尽きたのでした。

引用元 光る君へ公式X

伊周は久しぶりに一条天皇と対面をかなえると、『枕草子』を手渡します。

かの清少納言が、皇后・定子様の思い出をさまざま記したものにございます。どうぞおそばにお置きくださいませ。

引用元 光る君へ公式X


一方、まひろは賢子に『竹取物語』を読み聞かせるようになっていました。

以前は漢詩を読み聞かせていたが、賢子は嫌がるばかりだったのです。

そんな賢子も『竹取物語』には興味を示します。

そこでまひろは、自分でも物語を書こうと思い立ち、執筆に取り組み始めたのでした。

つづく…

用語集 大河ドラマ「光る君へ」第29回

四十の賀(しじゅうのが)…40歳になったことを初老として、長寿を祈る祝い。

草子(そうし)…紙を重ねて糸でとじたもの。とじた本。

受領功過定(ずりょうこうかさだめ)…正月の除目(じもく)の前に、各国の国司の働きを評価する公卿の会議。

『竹取物語』(たけとりものがたり)…平安前期に成立した日本最古といわれる物語。作者は不明。

飛香舎(藤壺)(ひぎょうしゃ/ふじつぼ)…後宮の殿舎のひとつ。壺(中庭)に藤を植えたことから「藤壺」ともいう。

御薬の儀(みくすりのぎ)…正月に、天皇に屠蘇(とそ)などの薬を献じて、無病息災を祈る儀式。


引用元 大河ドラマ「光る君へ」公式ページ特集より

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賢子役の永井花奈ちゃん、どうみても2〜3歳なのにしっかりと演技しててビックリよ‼️

まさに賢い子、賢子役にピッタリな子をよく見つけてきたなぁとスタッフさんに拍手喝采ものです👏

蔵之介さんも自然と破顔してしまいますよね😊

倫子と道長の間の溝

彰子が中宮となってから、道長と倫子の間には溝ができているようです。

娘のところに帝のお渡りがないから、母としてはなんとかしてやりたいと思ってせっせと藤壺に通い華やかに彩ろうとする気持ちも分からなくはないけど、道長の言う通り妻の親が毎日いたら足が遠のくというのもわかります。

一条天皇としては、ただ定子の死をいまだ引きずっていて、彰子のことなど考えられないだけだと思うのですが。

彰子を入内させようと気持ちを一つにしていたのに、この気持ちのすれ違いはいったいどうしてなのだろうかと考えてみました。

彰子が立后してから起きたことは、道長が明子のいる高松殿で倒れたということ。
意識のない中、道長はまひろに呼び戻される夢を見、まひろの名をつぶやきます。
夢の中でのことのようですが、私はこの時道長は寝言でまひろの名を口にしてしまっていたのではないかと思うのです。

それを聞いた明子が、倫子にまひろとは誰ですかと聞いたというのは考えられなくもないですよね。

すべてを悟ってしまった倫子の心の中は悶々とし、けれど道長に真実を聞くこともできなくてイライラが募ってしまい、次第に二人の間に溝ができてきたって…妄想にすぎないけど、考えられなくもないんだよねぇ🤔

いずれ倫子は道長とまひろの関係を知ることになると思うんだけど、どういう描き方をするのかドキドキして楽しみです😆

北の方と妾

宣孝の北の方からその死を知らされたまひろは、茫然とするばかりです。

弔いの儀も済ませてしまったと言われたまひろは、この時、妾であることの本当の意味をまざまざと感じたのではないでしょうか。

最後に一目会うことも許されない妾としての立場というものを。
少しだけ、北の方のまひろに対する嫉妬というものも感じました。

豪放で快活だった姿だけを心に残してほしいと願う北の方は、華やかな定子の姿だけを書き残したいと思うききょうと同じものを感じます。
愛が深ければ深いほど、故人の光の部分だけを見つめたいと思うのかもしれません。


北の方であれば、宣孝の財産を受け継ぐこともできるのだろうけど、父も官職を失ってしまったまひろは途端に生活困難に陥ってしまいます。
まひろが賢子の母として、子がひもじい思いをしないように、道長の申し出を受けるようにと父・為時に願う姿は、身につまされる思いでした。

賢子がいなければ、為時の思いを尊重していたかもしれないけど、母親とは子供のことを一番に考える生き物です。

道長の庇護を受けるようで、情けない感情もわくかもしれないけど、娘のためならどんな感情をも超えられるのです。母の愛は何よりも勝るのだから。

最後までかっこよかった詮子の生き様

定子が産んだ敦康親王を実質人質として、彰子に養育させるように道長に助言する詮子ですが、彼女の人生は最初から最後まで「家」のためだったように感じます。

病の床でも父・兼家とまったく同じことをするところに彼女が生きる(生きてきた)覚悟みたいなものを感じました。

円融天皇に入内してから今日まで、息子・一条天皇のために生きてきたのです。
伊周を陥れようとしたり、己の力で策を弄し行動してきた詮子に、私は尊敬の念を感じぜずにはいられませんでした。

父や兄、円融天皇からの愛を受けることもなく、ただひたすらに我が子を立派な帝にすることだけに心を砕き、政にも介入してきた詮子は、前回で一条天皇からさえも拒絶されてしまいました。
なんと、かわいそうな人なんだろうと先週は涙しながらの視聴でした。

今回、四十の賀で倒れた時に出た言葉が、一条天皇に向かって「私に触れてはならぬ。穢れともなれば政が滞ってしまう。あなた様は帝でございます」でした。
最後まで一条天皇が立派な帝であるようにと願う詮子の母としての愛が感じられ、溢れる涙が止まりませんでした。

また、自分はもう死ぬのだとわかっていても、薬など一生飲まぬと己に誓いを立てたことさえも全うするところがかっこよすぎです😭

最後に息も絶え絶えに、道長に伊周の位を元に戻して、帝と敦康のために伊周の怨念を鎮めてくれと頼む姿は、まさに命を賭けて子らを家を守ろうとする母としての愛からでしょう。

女にしておくのはもったいないほど、兼家譲りの気性と策略で己の人生を生き抜いた詮子の死は、詮子推しの私にとって淋しさでいっぱいになります。

最後までかっこいい詮子を演じてくれた吉田羊さんにも感謝しかありません。
最後に伝えたい、あなたは最期の最期までかっこいい「母」でしたよと。

それぞれの「母として」

倫子は母として彰子のためにいろいろと手を回し、詮子は母として帝や孫の敦康に災いが降りかからぬように伊周の復位を願い、まひろは賢子のために父・為時に道長の申し出を受けるようにと頼みます。

今回はそれぞれが母として何を望み、どう行動したかというところに焦点が当てられた回でした。

もう一人忘れてはいけないのが、道長の妾妻・明子です。
明子は、北の方である倫子と自分の差はわかっているのです。
どう足掻いても、倫子の立場にはなれないことを。

それゆえ、せめて本妻の家の子たちに負けぬようにと、自分が産んだ子らに勉学や舞を厳しく教え込もうと骨を折ったことでしょう。

詮子の四十の賀での、倫子の子と自分の子の舞で、明らかに我が子が上手く舞えたことに優越感をいだいたことでしょう。

舞が終わって、倫子の方を向き軽く会釈するところに、勝ち誇った感が出ていました。
道長の子であれど、妾妻であるがゆえの抗えない差を埋めるために、明子も母として我が子が誰よりも秀でているようにと願い接してきたのでしょう。

立場や環境によって、それぞれ母として思うことは違えども、根底にあるのは我が子への愛なんでしょうね。





敦康親王を養育することになってしまった彰子のいる場所が藤壺です。
これは、もう、あれですよね。
藤壺と光源氏の話の原点になりそうです。

道長を呪詛する伊周ですが、道長はピンピンとしていて詮子が亡くなってしまいました。
どうして?と思ったけど、これは前回、伊周が「あいつが大事にしているものをことごとく奪ってやる」と言っていたので納得です。
道長本人を呪うのではなく、大切なものを奪い、苦しむ姿を目の当たりにしたいという、恐ろしいほどの怨念です。
詮子の願いによって、復位した伊周ですが、まだ呪詛は続くのでしょうかね?

物語を書き始めたまひろですが、早く彰子の女房となり、宮中での「枕草子」VS「源氏物語」が見たいものです。


(パリオリンピックが終わるまでは、更新が遅れそうです😅)

なおらん

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