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【どうする家康】第17話あらすじ・感想考察「三方ヶ原合戦」|戦は勝ってからするものじゃ!

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「今こそ、我らが桶狭間を為す時ぞ!」

十に一つの勝ちに賭け、信玄と戦うことを決めた家康。

武田軍は風のごとく遠江へと押し寄せてきます。

この頃の時代背景は

  • 武田信玄が三河に侵攻してくる(1571年)
  • 毛利元就が死去(1571年)
  • 北条氏康が死去(1571年)
  • 織田信長が比叡山を焼き討ち(1571年)
  • 徳川家康、三方ヶ原の戦いで武田信玄に大敗(1572年)
  • 木崎原の戦いで島津義弘が勝利(1572年)

第17話は三方ヶ原の戦いでの武田軍、徳川軍、織田軍のそれぞれの状況描写となっています。

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目次

【どうする家康】第17話 あらすじ

「この地を守り抜き、武田信玄に勝つ!」

1572年晩秋、ついに武田との戦が始まりました。

風林火山

家康の意気込みをあざ笑うかのように、三万を超える武田軍は北近江に侵入し、天竜川に沿って南下してきます。

家康たちは広間で地図を広げ、議論を行っているのだが、情報が錯綜し混乱しているのです。

夏目広次

作手城、田峯城、長篠城はすでに敵の手に。

榊原小平太康政

多方から一度に攻め込まれておる、手が回らぬ。

本多平八郎忠勝

信玄本人はどこにおるのかさっぱりわからん!

本隊と別動隊があるようで、まったく動きがつかめないでいます。

石川数正

しかし恐るべき速さ。三日に一つ城を落とされておる。

酒井左衛門尉忠次

侵し掠めること火の如くとは、よく言ったものじゃ。

「疾(はや)きこと風の如く、侵略すること火の如く」

武田軍の行動は、信玄の軍旗にしるされた「風林火山」そのままだったのでした。

鳥居彦衛門元忠

駿河方より高天神城に向かう大軍ありとのこと!

どうやらこれが信玄の本隊のようです。

家康

高天神はやすやすとは落ちぬ。

高天神を制するものは遠州を制すると言われるほどの鉄壁の城です。

それゆえ高をくくっていた家康ですが、信玄と勝頼の大軍は容易に高天神城を超えてきたのでした。

夏目広次

次は見付城…。

見付を押さえ、天竜川を越えれば浜松です。

平八郎が物見に行きます。叔父の忠真も一緒です。

見付城の方を見ると、赤備えの部隊が取り囲んでいます。

夏目広次

平八郎殿、武田の先鋒と相まみえ、一言坂にて戦いとなりました!

家康

なんじゃと!

よりによって武田最強の山県が相手と知って茫然となる一同。

すると平八郎たちが帰ってきました。

本多平八郎忠勝

山県の手勢、まあまあでござった。手当は無用。見ての通り、こたびもまたかすり傷一つ負わなんだので。

血だらけの顔でそう言う平八郎と忠真の姿は、張りつめた空気をほぐしてくれたのでした。

信長からの伝言

信玄はその後も次々と城を落とし、浜松城から目と鼻の先の二俣城まで迫ってきました。

あっぱれなまでの敵の手腕に嘆息する一同です。

大久保忠世

頼みの綱は…織田信長ですな。

そこへ水野信元が信長の伝言をもってやってきました。

この浜松にて武田をくい止めよ!

家康

で?

酒井左衛門尉忠次

加勢はどれほど送ってくださるのか?せめて五千ほどは。

信元は、信長は浅井・朝倉との戦の最中で援軍は出せぬと言うのです。

簡単には引き下がれない家康は、信元に信長への伝言を授けました。

家康

ともに二日だけ城を抜け出し、いつものところで鷹狩をしようと

信長との密会

家康は、人里離れた農家で信長を待ちます。

織田信長

俺を呼び出すやつはめずらしい。

家康

呼べばおいでになるんですね。

織田信長

あれほど信玄を怒らせるなと言ったろうが。

家康

信玄の狙いはあなたですよ。

信長は家康にどうやる?と策を聞いてきます。

家康の答えは「桶狭間」でした。

そして餌は自分自身だと言うのです。

織田信長

同じ考えだ。

五千は借りたい兵の数だが、信長は三千しか貸せないと…。

家康

徳川と織田は一蓮托生であることをどうかお忘れなきよう。

織田信長

死にそうな顔した大将には誰もついてこんぞ。楽しめ、一世一代の大勝負を!

俺とお前は一心同体と言い、家康の顔を覗き込みます。

織田信長

信玄を止めろ。俺が必ず行く。

一世一代の大勝負を楽しめという信長の言葉をかみしめ、家康はその足で築山に向かうのでした。

瀬名へ渡す木の兎

築山では瀬名が庭の草花に水をやっています。

家康

一目会っておきたくてな。

おそらく息子の信康も三河勢を率い、出陣しなければならないでしょう。

殿と同じ武人になっていくことに寂しさを感じる瀬名です。

瀬名

…どうして戦はなくならぬのでしょう。

誰だって人殺しなどしたくないのに、戦はなくならず苦しみが大きくなるばかりだと瀬名は言うのです。

家康

この乱世…弱さは害悪だそうじゃ。

家康は、木片を削ってできた兎を瀬名に渡して言います。

家康

それは、わしの弱い心じゃ。ここへ置いてゆく。そなたは何があっても強く生きよ。

家康は、募る思いを断ち切って築山をあとにしたのでした。

織田軍三千到着

家康が浜松へ戻ると、水野信元と佐久間信盛(立川談春)率いる三千の織田勢が到着しました。

そして、広間に集まった一同に家康は策を伝えます。

岡崎でも同じ作戦を共有しています。

家康

この城とわしの首は信玄に食いつかせる餌じゃ。食いつかせてひと月耐え忍び、一撃必殺!信玄の首を獲る!
天と地をひっくり返す

信長が浅井・朝倉を倒して駆けつけるまで籠城し、城攻めに疲れ果てた武田軍に一気に襲いかかろうというのでした。

浜松を無視?

とうとう三万の武田軍が天竜川を渡ったとの報せが入ります。

民が逃げまどう中、井伊虎松は戦見物だと言い町にとどまっています。

浜松城では一気に緊張が走り、家康たちが櫓から見ると武田軍が現れました。

山県昌景率いる最強の軍団赤備えもおり、その壮観さに息を呑む家康です。

家康

どういうことじゃ?

動き出した武田軍は、浜松城へと前進せず西へと向かったのでした。

酒井左衛門尉忠次

まさか、浜松を放って行く気か…

家康

馬鹿な!わしはここじゃ!家康はここにおるぞー!信玄!かかってこい!信玄ー!

自尊心を傷つけられ、狼狽する家康。

このまま素通りさせたら、遠江の民は誰もついてこなくなる、だが打って出れば確実に負ける。

皆の意見が乱れ飛び、挙げ句の果てには揉み合いになる始末です。

しかし、家康たちの反応は信玄の予想通りだったのです。

どうすべきか懸命に考えている家康に皆の視線が集まるのでした。

三方ヶ原で待ち構える信玄

浜松を通り過ぎた先には、瀬名たちのいる岡崎があります。

なんとしてでも食い止めなければなりません。

家康

我らが武田に勝る点があるとすれば一つ。この地についてじゃ。

夏目が地図を広げ、一同で取り囲みます。

武田軍が向かう先にあるのは三方ヶ原台地。その先にあるのは、身動きのとれない細い崖道です。

そこを後ろから突けば、かなりの兵を失わせることができ、勝機があるという考えです。

家康

戦の勝ち負けは、多勢無勢によって決まるものではない!天が決めるんじゃ!直ちに武田を追い、後ろから追い落とす!出陣じゃあ!

三方ヶ原へ向け出陣した家康は、坂道を駆け上がってたじろぎます。

三方ヶ原台地いっぱいに、三万の武田軍が整然と魚鱗の陣を敷いて待ち構えていたのでした。

武田信玄

勝者はまず勝ちてしかるのちに戦いを求め、敗者はまず戦いてしかるのちに勝ちを求む。わっぱよ…戦は勝ってから始めるものじゃ。

本陣で泰然とし、家康を見つめ言う信玄。

同時に孫氏の兵法を息子・勝頼に学ばせているのでした。

家康討ち死に⁉︎

武田軍の魚鱗の陣に対し、徳川軍は鶴翼の陣で対抗します。

しかし兵力の差がありすぎ、わずか二時間あまりで勝負の決着はついたのでした。

浜松の町からひた走ってきた虎松が戦場を見渡すと、横たわる死者は徳川の兵ばかりです。

武田の陣では「風林火山」の旗がはためき勝鬨を上げています。

虎松は一台の荷車が通るのを見てはっとします。

その上に載っているのは、金色の具足で首がないものだったのでした…。

つづく…

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【どうする家康】第17話 感想考察

「三方ヶ原合戦」

「疾(はや)きこと風の如く、侵略すること火の如く」

風林火山の旗印そのままに、次々と城を落としていく武田軍。

百戦錬磨の信玄の手中にはまっていき大敗を喫する家康ですが、いくつかの教訓を得たようです。


平八郎殿、武田の先鋒と相まみえ、一言坂にて戦いとなりました!

いわゆる「一言坂の戦い」と言われるものです。

天竜川を渡られたら浜松まですぐです。
家康は三千の軍を率い出陣し、史実では本多忠勝と内藤信成を偵察隊として先行させます。
(ドラマでは家康は浜松にとどまったままでしたが)
この偵察隊が武田の先発隊と遭遇して始まったのが一言坂の戦いです。
望まぬ形での開戦と圧倒的な兵力の差を見て、家康は撤退を決めます。

先行隊の忠勝は殿(しんがり)をつとめ、敵中突破し逃走をはかろうとします。
この時武田軍の小杉左近は、道を開け見逃したと言われています。
主君を逃がすために命をかけて向かってくる忠勝の姿は、敵兵の心をも打ったのかもしれません。
(恐ろしい形相で突進してくる相手に怯んだだけなんじゃないかと思うんですけどね😓)

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八
一言坂の戦いの後、小杉左近が落書して坂に立てたと言われているもので、それだけ本多忠勝という武士は、家康にはもったいないほどの勇猛な武将であることを示しています。
敵の武将にこれほどの賛辞を受ける忠勝です。
また、血だらけの顔で帰ってきて、傷を傷とも思わない豪傑さが、生涯傷一つ負ったことがないというエピソードを生んでいるのでしょう😊

こういった家康のために命を差し出す家臣が何人もいたことは、家康の宝であり、情けある主君だからこそ皆ついてくるのでしょう。


死にそうな顔した大将には誰もついてこんぞ。楽しめ、一世一代の大勝負を!

多くのドラマを見ると、信長はピンチの時によく「是非に及ばず」と言っています。
仕方がないという意味ですが、確かに松潤家康のように弱気であたふたする場面は見たことがありません。
残虐性と合わせて第六天魔王と呼ばれる所以でもありますね。

このカリスマ性の根底にあるものがこのような考えだとしたら、実は信長にも弱気になるところがあったのではないかと推察できます。
その弱い心を打ち消すために、常に念頭に置いていた思考なのではないかと思うのです。

一世一代の大勝負を楽しめと言うあたり、家康にとって最大で過酷な戦いになるとわかっていたのでしょうね。


それは、わしの弱い心じゃ。ここへ置いてゆくそなたは何があっても強く生きよ。

家康の拠点は浜松城でも岡崎城でもなく、きっと瀬名のいるところなんですよねぇ。
木で彫った兎で遊んでいた頃の家康は、泣き虫でとても気持ちのやさしい男子でした。
だんだんと成長もしてきていますが、根本的な気持ちの弱さは残っています。
その弱い心を兎に込め瀬名のところに置いていく行為は、強き心を持って信玄に向かわなければ生きて帰ってこれないだろうという覚悟の表れなのではないでしょうか。

何があっても強く生きよとは最後の別れになるかもしれないと思って言った言葉です。
瀬名もそれはわかっています。
左衛門尉と登与のシーンでもそうでしたが、戦国の女性は辛いですね。どんなに不安で悲しくても、夫を戦に送り出す時に涙を見せるわけにはいかないのですから😭


戦は勝ってから始めるものじゃ

たしかに信玄は、戦を始める前に情報収集をし、行く先々の民の心を掴み、戦う土地の調査までしています。
家康の思考の先の先まで読み、三方ヶ原までのおびき寄せに成功し勝利するのです。

史実では、圧倒的な兵数の差にかかわらず魚鱗の陣を敷く徹底ぶりです。
一般的に横に長い鶴翼の陣は多勢であれば兵力差を活かせる陣形ですが、兵力の少ない徳川軍がこの陣形を敷いてしまっているのです。
数的不利にありながら、徳川軍から戦をしかけ端の方から崩れていき総崩れとなったわけです。
正反対の陣形を取ってしまったことによることも大敗に繋がったのでしょう。

すべてにおいて戦を始める前から勝負ありです。
家康はすべてにおいて信玄と比べ足らぬのです。

この大敗の経験は後に活かされていきます。
関ヶ原の戦いの前には何通も手紙を送り、多くの武将を取り込んでいます。
大阪夏の陣では、冬の陣後の交渉で大阪城の堀を埋めさせ勝利に導いています。
戦を始める前に、ありとあらゆる手段を講じておくのです。
(それは卑怯じゃないかい⁉︎といった手も使いますが…たぬき親父と言われる所以ですね)

敗戦を敗戦のままで終わらせず、自分のものにしていく。
こうして信玄から多くを学び、信玄を師として戦国の世を戦いぬいていきます。

信玄は勝頼にこれを学ばせたかったのでしょうね。
それを敵将が学び、後に武田が滅ぼされる。皮肉なものです。


来週は、主君を撤退させるために命を賭けて戦った家臣たちの武勇伝が描かれるでしょう。
(大久保忠世や榊原康政の活躍まで描かれるかどうか?微妙だなぁ…)
しかし、涙を流すこと間違いなしです😭
また、「真・三方ヶ原合戦」というサブタイトルから、古沢さんが考える新説が足されるのかもしれません。楽しみですね😊

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なおらん

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