寛弘6年(1009年)11月、彰子は二人目の皇子・敦良を産んだ。
道長は四納言の前で言う。
「できれば、俺の目の黒いうちに、敦成様が帝におなりあそばすお姿を見たいものだ」と…
第39回人物相関図
【光る君へ】第39話 あらすじ
秘密を知る為時
その年の暮れまひろは、父・為時の屋敷に戻ります。
道長から賢子への裳着のお祝いに絹織物を持ち帰ると、その豪華さに皆目を丸くします。
やっぱり自分の子はかわいいんだな。
惟規の発した言葉で、為時は初めて、賢子の父親は亡き宣孝ではなく、道長なのだと知るのでした。
年が明け、藤壺に戻ったまひろは、局で「源氏の物語」の執筆に励みます。
そこへ道長がやってきます。
道長は、清涼殿で行われた子(ね)の日の宴に為時を招いたが、もの言いたげに道長を見つめたあげく途中で帰ってしまったと言うのです。
何を言いたかったのであろう。聞いておらぬか。
きっと華やかな所で、調子が狂ったのだと存じます。
まひろはそう答えて父の振る舞いを詫び、仕事があるからと言って立ち去ってしまいました。
伊周の遺言
この頃伊周は衰弱し床に伏していました。
弟の隆家や息子の道雅らがそろって見舞うと、伊周は無念の思いを口にします。
俺が何をした…父も、母も、妹も、あっという間に死んだ。俺は奪われ尽くして死ぬのか…
隆家が兄の安らかな死を願って言葉をかけます。
敦康親王様のことは、私にお任せください。安心して旅立たれませ。
伊周は、道雅に最期の言葉を残します。
左大臣には従うな。低い官位に甘んじるくらいなら、出家せよ。
雪を感じながら意識の薄れゆく兄に、涙を流し隆家は言いました。
あの世で…栄華を極めなさいませ。
この翌日、伊周は36年の生涯を閉じたのでした。
隆家は、兄の喪が明けないうちに道長を訪ねます。
供養の品々過分に頂戴し、厚く御礼申し上げます。…この先は、敦康様の後見を私がお務め申し上げたいと存じます。…私は兄とは違います。敦康様の後見となりましても、左大臣様にはお仕えしたいと願っております。
大切にお守りいたせ。
一条天皇は体調を崩し、気弱になっており、行成に、自分が世を去る前に敦康を次の東宮にする道筋をつけたいと語ります。
敦康の元服を急ぐ一条天皇に行成は、すでに日取りを陰陽寮に諮っていると答えます。
これで、中宮の出産に紛れることなく、敦康の元服を世に示せる。よかった…
ききょうは伊周まで亡くしてしまい、左大臣に対して悔しさを表し涙を流すのでした。
あれほどお美しく尊かった方々が、なにゆえこのような仕打ちを…。
父の道具
ある日、まひろに漢籍を学んでいる彰子のもとに、妹の妍子が訪ねます。
東宮・居貞親王の后になることが決まったので、彰子に挨拶に来たのです。
姉上はお幸せですわ。お美しい帝のもとに入内なさって。それに比べて私は、18歳も年上の東宮様に奉られるのでございますよ。
すでに娍子という后がいて熱愛していると不満を口にします。
宿命にあらわがず、その中で幸せになればよい。きっとよいことがあろう。
彰子はそう言い聞かせるが妍子は、父・道長は自分たちに帝の子と東宮の子を産ませることで権勢を盤石にしようとしており、彰子も自分も父の道具なのだと言うのです。
これを聞いてまひろが口をはさみます。
恐れながら、そのようなお言葉は、ご自身を貶められるばかりかと存じます。
まひろのことをうるさい人と思いつつも妍子は、彰子が言うように楽しく生きてみせると言い残し去って行きました。
妍子は居貞親王の后となり、以来、連日若い公卿らを集めて宴を開くようになります。
また、右大臣の顕光は、道長への牽制のために居貞親王の子敦明を、次女・延子の婿に迎えるのでした。
道長の恐れ
元服の儀を翌日に控えた敦康親王は、彰子との別れを惜しんでいました。
母亡きあと、中宮様に賜りましたご恩、生涯忘れませぬ。
立派な帝におなりあそばすために、精進なさいませ。
手を握り合う二人の光景を目にした道長は、まひろの局を訪ねて言います。
敦康様は、お前の物語にかぶれすぎておられる。光る君のまねなぞされては一大事である。
物語の中の光る君と義母のように不義密通をするのではないかと恐れているのです。
つまらぬことを。ずっと中宮様とご一緒におられましたゆえ、お寂しいだけでございましょう。
とりあわないまひろに、道長は立腹します。
光る君も同じではないか。もうよい、なんとかいたす。
道長は行成に、元服後はすぐに敦康の住まいを移すように命じたのでした。
昇進
寛弘8年(1011年)の正月、惟規は従五位下に昇進します。
いとは涙ぐみながら言います。
若様の赤い束帯、ご用意しておりますよ。
幼き時からその手で育ててきた惟規のことを、ずっと信じてくれたいとの配慮でした。
上向いてまいりましたよ、ご運が。
抱き合いながら泣いて喜ぶ惟規といとです。
さらに春の除目で為時は、越後守に任じられました。
二人はそろって内裏を訪れ、道長に礼を述べます。
恐れながら左大臣様、姉もお世話になっておりまする。あの恐れながら、姉は気難しくて、人に気持ちが通じにくいのでございますが、どうぞ末永くよろしくお願いいたします。
この言葉で道長は、自分とまひろに深いつながりがあると気づかれていることを知るのでした。
中宮様のご在所に寄って、藤式部の顔を見てやれ。
為時と惟規はまひろの局を訪ねます。
父上、越後は越前よりも遠く、冬も一層厳しいと聞きます。どうぞお気をつけて。
越前守の時は、まひろも同行したが宮仕えではそれもできません。
そこで惟規は、自分が越後まで父を送ると言うのです。
どうやら斎院の中将の君にフラれてしまい、都にいたくなかったからのようでした。
きつとみんなうまくいく
その後、為時の屋敷で賢子の裳着の儀式が行われます。
道長から送られた織物を仕立てた衣装に身を包み、惟規が帯を結びました。
賢子は越後にはついていかず、いとや乙丸らとともに屋敷を守ろうと決めていました。
宮仕えはいたしませぬ。母上と同じ道を行きたくはございませぬ。
相変わらずまひろに反抗的な賢子だが、為時は賢子に言います。
頑固なところはまひろによく似ておる。
儀式の後、まひろと惟規は話をします。
姉上の裳着のときは、姉上と父上の仲は最悪だったな。父上と目も合わさない姉上、怖かったよ。…親子って変わらないようで変わるんだな。
賢子と私の仲も、いずれ良くなるってこと?
たぶんね…だって賢子の母上は、姉上だけなのだから…。そういえば、左大臣様の姉上への気持ちも変わらないなあ〜。左大臣様はすごいよ…きっとみんなうまくいくよ。
調子のいいことばかり言って…父上をよろしくね。
惟規の死によって…
為時の供をして越後へ向かう道中、惟規は激しい腹痛を起こしました。
越後へ到着するとすぐに為時は医師を呼んだが、その到着を待たず、惟規はこの世を去ってしまったのでした。
内裏にいるまひろに為時から惟規の死が知らされます。
その晩、為時の屋敷に戻ったまひろは、涙に暮れているいとと賢子に惟規の辞世の歌を詠んで聞かせました。
都にも悲しき人の多かれば なほこのたびはいかむとぞ思(ふ)…都にも恋しい人がたくさんいるゆえ、なんとしても生きて帰りたいって…
気丈にふるまっていたまひろもついに涙します。
そんな母を見て賢子は、そっとまひろの背中をさすります。
まひろは賢子の胸の中で泣き続けるのでした。
つづく…
用語集 大河ドラマ「光る君へ」第39回
産養(うぶやしない)…平安朝の貴族社会などで行われた通過儀礼の一つ。子どもが生まれた日の夜を初夜といい、その日から3・5・7・9日目にあたる各夜に祝宴を催す。生養・養産とも書く。
加冠(かかん)…男子が元服のときに初めて冠をつけること。
大饗(だいきょう)…大きな饗宴。二宮大饗(にぐうのだいきょう)と大臣大饗(だいじんのだいきょう)とがある。二宮大饗とは中宮と東宮の二つの宮の大饗をいい、1月2日に行われる。大臣大饗は正月と大臣任官時に行われる。
入侍(にゅうじ)…東宮に入って妃となること。
子の日の宴(ねのひのえん)…正月の初めの子の日に、宮中で公卿(くぎょう)や侍臣(じしん)などに賜った宴。
引用元 大河ドラマ「光る君へ」公式ページ特集より
【光る君へ】第39話 感想考察
あああぁぁぁ太郎ちゃーーーん😭😭😭
もうこの笑顔に会えないのかと思うと、悲しすぎてこれからの光る君へを観るモチベが下がっていってしまうよぉぉぉ……
これからどこに癒しを求めたらいいのさぁ…
悲しすぎて寂しすぎて、太郎ちゃんの死以外の話が思い出せないよー😭😭
人を愛し愛された惟規
うっかり賢子の父が左大臣だと分かってしまうような口を滑らし場の空気を凍らせたかと思えば、父上にも伝わってよかったとポジティブ発言で乗り切ろうとするところが決して憎めない人なんですよ、太郎ちゃんは。
(私はてっきり惟規が知っていた時点で、為時も知っていると思っていたので、初耳顔の為時にびっくりでしたんですけど…いとさん意外と口が固かったか😅)
これまで何度も軽妙な振る舞いでまひろの気持ちを軽くしたり、カチカチ頭の為時と頑固なまひろの間で緩衝材のような役割で、この家になくてはならない人だなぁと思って見ていました。
庚申待ちの夜、さわと二人で夜通しお酒を酌み交わしている時に、道長と別れて帰ってきたまひろに対し何も聞かずにこっちきて飲むって声かけてあげる優しき弟。
賢子が生まれ、道長の子だと知りながらもおでこのあたりが宣孝様に似ているとおどけてみせ、無理して言ってないよとまひろに伝えてあげる優しき弟。
思い出は尽きないけれど、嫌なところが一つもない人なんです。
惟規の友人関係はわからなかったけど、きっとどんな人をも愛し誰からも愛される人だったんだろうなぁと思われる人物でした。
(惟規を振った斎院の中将の君って人を見る目がないわ、まったく💢)
惟規という好青年は、爽やかな高杉真宙さんにピッタリの役だなと思いました。
勉強が苦手な惟規が、できる姉と比較されても腐ることなくのびのびと育ってきたかげには、いとさんの愛ある支えがあったからでしょう。
なんだかんだ言っても、大学に行って文章生の試験にも合格したようだし、ちゃんとやる時はやる子だったのよ。
そんな惟規が従五位下に昇進したのを見て、いとさんはどんなにか嬉しかったことでしょう。
やる時はやる子だとずっと信じてきたから、赤い束帯を準備してその時を待っていたのでしょうね。
二人で泣きながら抱き合って喜ぶ姿を見て、こちらの頬も滝のように涙が溢れてきたわよ😭
いとさんの「上向いてまいりましたよ、ご運が」という言葉が、まさか悲しき伏線になろうとは…
大河ドラマのあるある、上げて落とすをここでやるなんて😭
急な腹痛で亡くなるなんて、どんな病だったんだろう。
たぶん、虫垂炎とかでも死ぬ時代よね。
医者を呼んでいる間の父子の空間。
突然訪れる別れの予感。
父より先に逝ってしまう無念、息子を看取る父の苦痛、いろんな感情が私の中でも湧き起こり、涙が止まらず見ていて苦しくなりました。
辞世の歌を書く惟規が最後の一字を書く手前で息絶えてしまい、残りの「ふ」の文字を足してあげる父の気持ちって…考えただけで涙が出てくるよ。
惟規は最期までがんばったんだから、最期の歌もきちんと仕上げてあげようという親心だよね。
惟規はまひろに「きっと、みんなうまくいく」と言ったのが、弟から姉への最後の言葉となりました。
まるで自分の命を差し出して、まひろと賢子の親子関係を修復させたように感じてなりませんでした。
人を愛し人から愛された惟規の死が、とだえることのない絆をまひろと賢子に思い起こさせる…
サブタイトルの意味と脚本の緻密さが心に刺さる回となりました。
これまでいろんな人物が死んでしまったけど、直秀が死んでしまったのと同じくらいに辛い出来事でした。
ほんとにもう、あの笑顔と飄々とした会話を見ることができないんだと思うと、悲しくて哀しくて…
対照的な二人の死
一方で伊周も亡くなってしまったけど、二人はほぼ同じ年齢のようです。
伊周と惟規の死を対照的に描いていたのも考えさせられました。
伊周は息子に道長の言うことは聞くなと恨みの言葉を言い残し、惟規は病に苦しみながらも、左大臣に賢子のことを伝えなければと思いやっていました。
人を恨んで死ぬより、人の幸せを願って死ぬほうがどれほどかいいですよね。
ただ、伊周もその死を泣いてくれる隆家やききょうがいてくれたのが救いでした。
これもとだえることのない絆なのでしょう。
冒頭に皇子誕生に喜ぶ家族を持ってきて、ラストに惟規の死を悲しむ家族を描く恐るべし大石脚本!
ラストまで気の抜けない展開が続きそうですね。
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