とうとう一条天皇までいなくなってしまう回がきてしまいました😭
最終回の足音が近づいているようで寂しくなってしまいますね。
第40回人物相関図
【光る君へ】第40話 あらすじ
朗読会
寛弘8年(1011年)5月、藤壺で「源氏の物語」の朗読会が開かれました。
宰相の君が「藤裏葉」の巻を朗読すると、敦康がまひろに、藤壺の女御は光る君をどう思っていたのだろうかと尋ねます。
しかしまひろは、曖昧にほほえむだけでした。
それなら藤壺は光る君をいとおしんでいたと思うことにします。
敦康がそう言うと、道長が口を開きます。
たとえ藤壺の想いを得たとしても、光る君は幸せにはなれなかったと思いますが。不実の罪は必ず己に返ってまいりますゆえ。
物語の先がどうなるのか知っているような口ぶりにまひろは驚きます。
病に伏す一条天皇
ある晩、彰子は一条天皇に、寒い日でも上に羽織らず火取りも使わないのはなぜかと尋ねました。
一条天皇は苦しい思いをしている民の心に近づくためだと答えます。
民の心を鏡とせねば、上には立てぬ。
お上は、大宗皇帝と同じ名君であられます。
彰子の言葉から一条天皇は、彰子が「新楽府」を読んでいることを知るのです。
中宮が、そのように朕を見ていてくれたとは気づかなかった。うれしく思うぞ。
直後に一条天皇は苦し気に胸を押さえたが、いつものことだと言うのでした。
翌日、一条天皇は床に伏してしまいます。
病状の重さを案じた道長は、大江匡衡に占わせました。
占いには代が変わると出ましてございます。恐れながら、崩御の卦が出ております。
道長と匡衡の会話を隣の夜御殿で、じっと聞いている一条天皇がいたのでした。
道長は公卿たちを集め、一条天皇の譲位に向けて準備を始めたいと言います。
実資は早すぎると反対したが、ほかに異を唱える者はいませんでした。
さらに道長は四納言を集め、敦成親王を次の東宮にすることについて意見を求めます。
行成だけが第一皇子の敦康親王が東宮になるべきだと主張するが、ほかの三人は道長に同意し、実資と敦康の後見人・隆家は自分たちが説得すると請け合いました。
東宮にて
5月27日、一条天皇は道長を呼び譲位すると告げます。
しかし、まずは東宮と会って話がしたいと言うのです。
道長は居貞親王を訪ね、それを伝えました。
居貞親王は承知したあと、妍子の顔でも見て帰れと道長に言います。
道長が会いに行くと妍子は商人から高価な生地を大量に買い上げていました。
道長はそんな妍子を諫めます。
東宮の蓄えとて、潤沢では」ございませぬ。そのことをどうぞお考えくださいませ。
母上が、そういうものは土御門が引き受けるゆえ、好きにしてよいと仰せになりました。つまらぬことしか申されないなら、もうお帰りください。
父のために我慢して后になったのだから好きにさせよと妍子は言い放ちます。
どうせなら敦明様がようございました~
敦明の名を持ち出す妍子に道長は驚き、言葉を失うのでした。
行成あっての…
死を覚悟した一条天皇は、行成と二人になった折に、敦康を東宮とするよう道長を説得してほしいと頼みます。
行成は清和天皇を引き合いに出して説きます。
道長も重臣であり、敦成親王の外戚であることを考えれば、敦成が東宮になるのは必然だと述べるのです。
恐れながら、天の定めは人知の及ばざるものにございます。
…分かった…下がれ。
その言葉を受け、行成は道長のもとに駆けつけます。
お上がただ今、敦成様を東宮にと仰せになりました。
またしてもお前に救われたか。行成あっての私である。
その言葉に行成は感激するのでした。
譲位と次の東宮
道長は藤壺を訪ね、彰子に一条天皇が譲位し、敦成が東宮になることを告げます。
すると彰子は激怒します。
私は敦成の母でもありますが、敦康様の母でもあるのです。二人の皇子の母である私になんの相談もなく、次なる東宮を敦成とお決めになるなぞ、とんでもなきこと!帝にお考えをお変えいただきます。
出ていこうとする彰子を道長が止めます。
政を行うは私であり、中宮様ではございませぬ。
父娘のにらみ合いが続いたが、彰子が目をそらし、道長は去っていくのでした。
一部始終を見ていたまひろの前で彰子は泣き崩れます。
中宮なぞ、何もできぬ。藤式部、何ゆえ女は政に関われるのだ。
6月2日、居貞親王は一条天皇と対面します。
朕は譲位する。東宮であるそなたが践祚せよ。東宮は…敦成といたす。
この言葉を聞き、病状を察し居貞親王は退出しました。
東宮に戻り居貞親王は后の娍子に語ります。
孫の敦成が東宮となれば、左大臣は早々に譲位を迫ってくるやもしれぬ。
そうなろうとも、道長の言いなりにはならないと断言する居貞親王でした。
6月13日、一条天皇は譲位し、25年に及ぶ一条期は幕を閉じ、居貞親王は三条天皇となり、敦成親王が東宮となりました。
一条天皇崩御
隆家は敦康親王に、敦成が東宮となったことを告げます。
敦康の姉・脩子内親王は嘆くが、ききょうは、まだ敦康が帝になれないと決まったわけではないと言うのです。
しかし敦康は、この結果を静かに受け入れていました。
父上を見ておったら、帝というお立場の辛さがよく分かった。穏やかに生きていくのも悪くない。
敦康の言葉に脩子も同意するのでした。
譲位後、一条天皇は出家し、6月23日に崩御しました。
出会い
ある日、食料を買いに賢子と乙丸が辻を歩いていると、乙丸がひったくりに遭いました。
賢子が「盗人~!」と叫んであとを追います。
盗人に追いつき、盗ったものを返すようにと迫っていると、盗人の仲間たちが寄ってきました。
この一味は、ひったくりでおびき寄せた賢子を売り払おうと目論んでいたのです。
賢子が必死に抵抗していると、見知らぬ若者が現れ、瞬く間に盗人たちをねじ伏せ蹴散らしてしまいました。
若者は双寿丸と名乗り、足をくじいた乙丸をおぶり賢子を屋敷まで送ってくれました。
腕っぷしが強いのね。
お前も気が強いんだな。
賢子をお前と呼ぶ双寿丸に乙丸が怒って頭をたたくと、背中から落とされそうになりました。
慌てる乙丸を見て、笑いあう賢子と双寿丸です。
賢子は礼だと言って双寿丸を屋敷に上がらせ、夕飯を振る舞います。
双寿丸は平為賢に仕える武者なのだと言うのです。
そこにまひろが帰宅すると、双寿丸が賢子に尋ねます。
誰?
あなたこそ、誰なの?
つづく…
用語集 大河ドラマ「光る君へ」第40回
清和天皇(せいわてんのう)…56代天皇。文徳天皇の第四皇子。
践祚(せんそ)…皇位を継承すること。
醍醐天皇(だいごてんのう)…60代天皇。宇多天皇の第一皇子。
太宗(たいそう)…中国、唐の2代皇帝。
年給(ねんきゅう)…年官と年爵を併せていう。給主は自己に申任叙権を与えられた官・位への応募者をそれぞれの官・位に申任・申叙して、その間に任料・叙料を得る。
藤原 良房(ふじわらのよしふさ)…平安時代前期の大臣。初めて摂政に就いた。
村上天皇(むらかみてんのう)…62代天皇。円融天皇の父。学芸に造詣が深く、『後撰和歌集』の編纂(へんさん)を命じた。
文徳天皇(もんとくてんのう)…55代天皇。即位後は東宮に更衣の紀静子が産んだ第一皇子の惟喬親王(これたかしんのう)を立てようとしたが、藤原氏の反対にあい、藤原良房の娘・明子が産んだ惟仁親王(これひとしんのう/のちの清和天皇)を立てた。
引用元 大河ドラマ「光る君へ」公式ページ特集より
【光る君へ】第40話 感想考察
太郎ちゃんがいなくなってからの私の癒し候補の双寿丸。
登場の仕方が直秀に似ているではないかい🥹
いいね、実にいいね〜‼️
強さも優しさも備わっていて、身分的には賢子とはそぐわないかもだけど、こういう人が相手の方が幸せになれそう。
けど、そんなにうまく進んでいく話じゃないわよねぇ😓
しだいに武士の時代へと移り変わっていくグラデーショナルな時の流れの中、武者として生きる双寿丸の先に待っているのは、幸か不幸か?
賢子と双寿丸の仲は発展しないんだろうなぁ🤔
「君を置きて」の君とは?
「露の身の草の宿りに君を置きて 塵を出でぬることをこそ思へ」(御堂関白記)
「露の身の風の宿りに君をおきて 塵を出でぬることぞ悲しき」(権記)
御堂関白記と権記で表記が違うのが気になるところですが…
微妙なニュアンスは違えど、そこはあまり気にしないでおくことにして😅
一条天皇の辞世の歌の中の「君を置きて」の君とは誰なのかという考察が、至るところで繰り広げられていますが、定子なのか彰子なのかで分かれているようです。
ドラマでは、死の間際彰子を見つめて言っているので、君は彰子のように受け取ることができます。
しかし、どうなんでしょうねぇ。
よく人は死ぬ前に、それまでの思い出が走馬灯のように駆け巡ると言われています。
一条天皇もそうであったと考えると…。
私はこの「君」とは、定子であり彰子であり、一番心残りであった敦康親王ではないかと思うのです。
先に亡くなっている定子に対して「君を置きて」と詠むのは無理があるかもしれませんが、出家しておきながら還俗した(させた)定子の罪を帝として感じているのなら、また出産が原因での死によって、定子の魂は現世で彷徨っているのではないかと考えて詠んでいると考察できることはできます。
思い出の中の定子はまばゆくて、死の淵で見た一条天皇にはまるで生きているようだったのかもしれません。
それから定子の産んだ敦康のことが、一番気がかりだったことでしょう。
なんとしてでも第一皇子の敦康を東宮にしたかったのに、最後は道長の力にくっぷした状態になってしまったのですから。
これは一番の心残りなはずです。
そして最後は彰子との思い出です。
自分のために新楽府を学び、尊敬の眼差しを向けてくれる彰子に対し、愛しさと感謝の思いがあったことでしょう。
薄れゆく意識の中で、さまざまな思いがよぎり出てきた歌の「君」は、これらすべての人を含んでいるように思えてなりません。
そんなふうに思わせてくれる塩野瑛久さんの一条天皇は、とても美しく聡明で、私たちの心にしっかりと一条天皇🟰塩野瑛久さんと植え付けてくれるものとなりました。
彰子の怒り
母である自分の意見も聞かず勝手に東宮を敦成親王に決めてしまった父・道長に対して激しい怒りをぶつける彰子。
何を言っても飄々とした態度で返してくるだけで、しまいには政をしているのは私だと言い切られてしまって彰子は返す言葉もなく悔しさが募るばかりです。
第一皇子を差し置いて第二皇子を東宮につけるなんてありえないことです。
ここにきて彰子も父の闇を見せつけられたことでしょう。
まひろの前で悔しさで涙を流す彰子を見ていると、昔のまひろを思い出しますね。
女が政に参加できないのを悔しがり、身分の差のない政への参加を望んだまひろを。
まひろに漢籍を学んでいる彰子、さすが思考が似てきますね☺️
これから彰子は偉大な国母となり、摂関政治を支えていく存在となるようです。
父に蔑ろにされた悔しさが彰子を変えさせたのかもしれませんね。
過去の大河ドラマや見逃し配信を観るならU-NEXTのNHKまるごと見放題パックがおすすめです❗️
\U-NEXT 31日間無料トライアル 下のボタンから申し込みできます/
視聴者の感想(Xより)
にほんブログ村
コメント