戦のない世を作る。
瀬名の壮大な謀に乗った家康と勝頼。
しかし、勝頼の裏切りによってすべてが露見され、信長の知ることとなったのでした。
この時代の歴史的背景は
- 越後の上杉謙信が死去。後継者を争う御館の乱が勃発(1578年)
- 三男・秀忠誕生(1579年)
- 信長から築山殿と信康への処罰が与えられる(1579年)
- 築山殿を自身の命で殺害(1579年)
- 信康を切腹させる(1579年)
- 秀吉家臣・竹中半兵衛が死去(1579年)
- 荒木村重の有岡城が落城(1579年)
【どうする家康】第25話 あらすじ
1579年夏、激しい夕立に見舞われたその日。
家康は信長に呼び出され、青ざめた表情でやってきたのでした。
信長からの下知
岡崎にて謀反との噂あり。
濡れた地面に深々とひれ伏す家康に、徳川の目付け役・佐久間信盛が言います。
信長は、伏したまま震えている家康に向かいます。
お前の家中のことじゃ。俺は何も指図せん。お前が決めろ。
これ以上ない残酷な下知…瀬名と信康を家康自身で処刑しろと言っているのです。
信長自身、かつて家督争いの末、弟・信行を殺めたことがあります。
家康殿、何をせねばならぬか、おわかりでしょうな。
絶望の中、動くこともできぬ家康でした。
苦渋する家康の策
私が腹を切ります。それですべて済みます。
力ない足取りで築山に現れた家康に、信康は静かに言います。
ならん!
では、どうするのですか。
…信長と手を切る。
そんなことができないことなど重々わかっている家康ですが、どうしたって理性より感情の方が勝ってしまうのです。
お前を死なせるくらいなら、わしが腹を切る!
それこそ徳川が滅ぶことでござる!
一国の主にふさわしく覚悟を決めている信康です。
瀬名は五徳に自分と信康の悪行を書いて信長に送れと指示を出します。
五徳まで自分たちに加担した仲間であると思われないようにするためです。
母上と信康様と志を同じくした仲間でございます。
そなたには二人の姫を育て上げる務めがあろう!
すべての責めを負う覚悟の瀬名と信康です。
殿、なんなりとご処断くださいませ。
目の前に伏した二人を、拒むように背を向け、眉間に深い苦渋の色を浮かべる家康です。
なんとかして二人を救う手だてはないものか…考える家康の目に狂気が宿るのでした。
わしは決めたぞ。皆、わしの言うことを聞け。瀬名と信康には責めを負ってもらう。五徳、瀬名の言う通り信長様に書状を書け。そういうことにするんじゃ。
信長を、世を欺く。
数日後、酒井忠次は信長の元へ五徳の書状を届けます。
十二条から成る訴状で、瀬名は悪人であり、五徳を日々そしり信康との夫婦仲を悪化させた、信康は暴虐で鷹狩りの帰りに出会った僧侶を斬り殺した、瀬名は唐人の医師と密通しているなどといった内容です。
…築山殿、信康殿、ともにご自害していただく所存にございます。
家康は服部半蔵を使い、信康や瀬名を移送する間に身代わりの者と据え変え逃がそうと考えているのでした。
信康と瀬名の覚悟
…お迎えでございます。
1579年8月4日、処罰をうけるため、信康が岡崎城を去る日がやってきました。
一行の中には半蔵もいます。
五徳、息災でな。いつでも織田家に戻るがよい。
信康は五徳にほほえむと、岡崎城をあとにしました。
しかし、信康は逃げることなく堀江城に入ります。
半蔵のしくじりに怒りを表す家康ですが、逃げる気のない者を逃がすことはできないのです。
苦渋の末、再び二俣城へ移送を決める家康です。
しかし、また逃げることなく二俣城へ入った信康でした。
なぜ逃げぬのかと問う半蔵に信康は言います。
母上がお逃げになってからじゃ。
瀬名が築山をあとにしたのは、20日あまりが過ぎた8月27日のことです。
しばらくすると石川数正とともに、迎えの鳥居元忠一行がやってきます。
瀬名は棚に飾ってあった木彫りの兎を手に取ると、大事そうに懐にしまいます。
参ろうと彦衛門を促す瀬名を、数正は思わず呼び止めます。
お方様…どうか、殿のお指図通りに。
瀬名は何も答えず、ただ静かにほほえみます。
佐鳴湖のほとりについた瀬名は、服部党が用意した身代わりの者を逃してあげたのでした。
別れ
力づくでも信康を逃がせと命を受けた忠世、七之助、半蔵。
母上がお逃げになったのか聞く信康に逃げたと嘘をつく半蔵ですが、見破られてしまいます。
ご自害なされたのじゃな。
逃げることに応じるふりをして、七之助の刀を抜き取り腹を切る信康です。
…わが首を…信長に届けよ。…わしが徳川を守ったんじゃ…信康は見事に務めを果たしたと…父上に伝えよ。
半狂乱の七之助は首だけは切らせまいと信康の体に覆い被さるが、信康の覚悟を受け涙を流しながら、刀を振り下ろす半蔵でした。
9月15日、二俣城に幽閉されていた信康は自害しました。
享年21。あまりにも若すぎる死でした。
家康には、もはや立ち上がる気力すら残っていません。
信康の死を悲しむ五徳や於大や家臣たち。
武田にも伝わり、千代はその場を離れます。
ひとでなしじゃな、家康は。
織田家でも、佐久間信盛が信長に伝えます。
これで徳川殿と我らとの結びつきは、より強固なものとなりましょう。よかった、よかった。
よかった?何がよかった?二度と顔を見せるな。
…家康…
信康自害の十数日前、家康は佐鳴湖のほとりで瀬名と会っていました。
死んではならん。生きてくれ。
しかし瀬名は、頭を横に振ります。
それは…できませぬ。
瀬名に迷いはありません。
本当は信康だけはどんな形でも生きてほしいけれど、あの子はそれをよしとしないでしょう。私もともに行きます。
…嫌じゃ。
家康はかつて一度、瀬名と子供たちを見捨てたことがあるのです。
幸いにも今川から取り戻すことができた時、家康は何があろうと妻子を守っていくと心に誓ったのでした。
守らせてくれ!
あなたが守るべきは、国でございましょう。
国なんかどうでもいい。知ったことか!わしはそなたたちを守りたいんじゃ。
「いつか大切なものを守るために、命を懸ける時が来る」
ずっと、瀬名の胸に刻まれていた、別れ際の母の言葉です。
瀬名は、今がその時だと心に決めています。
きっと父と母もあの世で、よくやったと褒めてくれるだろうと…。
すべてを背負わせてくださいませ。
世の者どもは…そなたを悪辣な妻と語り継ぐぞ…。
平気です、本当の私はあなたの心におります。
家康はたまらず泣き出し、瀬名を力いっぱい抱きしめます。
相変わらず、弱虫泣き虫鼻水たれの殿じゃ。
苦笑する瀬名だが、そんな家康が大好きだったのです。
覚えておいででございますか?ずっと昔、どこかに隠れて私たちだけでこっそり暮らそうと話したのを…あれが瀬名のたった一つの夢でございました。はるかはるか遠い夢でございましたな。
瀬名は懐の木彫りの兎を出し、家康の手に握らせます。
よいですか、兎は強うございます。狼よりもずっとずっと強うございます。…あなたならできます。
そして、その手にそっと最後の口づけをしたのでした。
瀬名はずっと見守っております。
つづく…
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【どうする家康】第25話 感想考察
「はるかに遠い夢」
瀬名が抱いた戦のない世を作るという夢。
瀬名自身が叶えることはできませんでしたが、家康の心の中にはしっかりと根付いたはずです。
たぬきおやじと言われようとも、平和な世にしようと粉骨砕身で邁進する家康の根底には、瀬名の思い、夢があったから。
家康はどんなに時間がかかろうと、はるかに遠く感じる夢であっても、瀬名の思いがあったからこそやり遂げようと決心したことでしょう。
瀬名と信康の死を、二人を悪者とせず書き上げる脚本にただただ感激し、涙を流さずにはいられない回となりました。
あなたが守るべきは、国でございましょう。
かつて於大の方も言っていた言葉「主君たる者、家臣と国のためならば、己の妻や子ごとき平気で打ち捨てなされ!」
この言葉や瀬名の言葉には、女も覚悟を持って生きているのだということがわかります。
いや、女の方が肝が据わっていると言えますね。
やさしい家康は、そんな覚悟など持てずにずーっと主君としてやってきました。
しかし、瀬名の死を前に瀬名に言われ、妻子よりも国を守らなければならないという事実を突きつけられたのです。
家康には耐え難い出来事だが、これがあったからこそ、それを乗り越え天下を統一し安寧の世を作ることができたのでしょう。
しかし戦国の世の女性は、なんて芯の強い人が多いのでしょう。
世の者どもは…そなたを悪辣な妻と語り継ぐぞ…。
これまで悪女として描かれることが多かった瀬名ですが、古沢さんの描く瀬名はまるで聖女のようでした。
視聴者の間では違和感を抱く人もいたと思いますが、悪女説をガン無視したわけではなかったんですね。
今回の出来事によって、後世まで悪女として語り継がれてしまうという家康の不安で表現したところは上手い手法でした。
脚本家の愛(捉え方)で瀬名が何倍にも魅力的になったのは言うまでもありません。
よいですか、兎は強うございますよ。狼よりもずっとずっと強うございます。…あなたならできます。
瀬名の最期の言葉が、家康の心に深く根付いたことは容易に想像できます。
心優しく臆病な家康でなければ、戦のない平和な世を作ることはできないと瀬名は確信しているのでしょう。
あなたでなければできない、兎は強いんだと言霊を置いてこの世を去る瀬名の最期が、強く美しくそして悲しくて涙が止まらない忘れられないシーンとなりました。
覚えておいででございますか?ずっと昔、どこかに隠れて私たちだけでこっそり暮らそうと話したのを…あれが瀬名のたった一つの夢でございました。はるかはるか遠い夢でございましたな。
瀬名にとってかつて家康と「どこかに隠れてこっそり暮らそう」と話した、はるかはるか遠い夢。
今世では叶わなかったけど、瀬名はきっとあの世で待っていることでしょう。
安寧な世を作り命をまっとうした家康と、天国で仲良く暮らせる時が来ると…。
ただただ、ひっそりと愛する者と暮らすことだけがたった一つの夢だった瀬名が、途方もない謀を考え実行したのは、我が子の心が壊れていくのを見てるのがいたたまれなかったから。
愛する者のために命をかけることのできる瀬名は、悪女などとんでもない、とっても素敵な女性でした。
視聴後は涙でこのブログと向き合うことができなく、翌朝になってから書いています。
一晩経っても、涙を流しながら書いています。
私の大河ドラマ視聴史上、心に残るシーンの上位に入ったことは言うまでもありません。
Twitterでのみんなの感想
同じ女の大鼠ちゃんだけが瀬名様の覚悟を感じ取って介錯しようとするの泣ける
— ライス村 (@ricevillage1225) July 2, 2023
#どうする家康 pic.twitter.com/BV3eeSlJUW
燃え盛るような紅葉の中で、信康が命を散らす。
— かかまつ (@kakamatsukk) July 2, 2023
派手な血飛沫よりも、印象的な赤の世界。#どうする家康 pic.twitter.com/rOuNcRQcu4
『三河物語』によると平岩親吉は信康の身代わりとして切腹を申し出たが、家康は許さなかったという。しかし責任を感じた親吉は傅役の職を辞し、謹慎したという。#どうする家康 pic.twitter.com/waDtARhrVv
— 令和の土星人。'23@ワクチン4度接種&インフル接種完了 (@4568Ts) July 2, 2023
#どうする家康
— ねこねこ (@nekoneko333) July 2, 2023
五徳が信長へ12箇条の手紙を書いた。
酒井忠次がそれが事実と認めた。
信康が城から城へ移された。
服部半蔵が信康を介錯した。
信長が佐久間信盛を追放した。
これら史実通りにして全く違う解釈を生み出す凄い脚本だ。
確かに、瀬名姫の謀略は失敗してしまったけど、武田は家臣の心が離れてしまい、却って滅亡への道を突き進んでしまうという皮肉…
— 石田三成@ZIBU (@zibumitunari) July 2, 2023
#どうする家康
いや泣けたんですよ?
— どすこ (@zigeuner_seijun) July 2, 2023
泣けるシーンだったんですけど
ここのドリフ感だけちょっと笑ってしまいまして😅
殿けっこう怪力ですな#どうする家康 #どうする絵 pic.twitter.com/4pRVPYiKKZ
「歴史っていうのは、そこの間にどういう感情があってどう働いていたのかは」
— 石田三成@ZIBU (@zibumitunari) July 2, 2023
「分からないね」
紀行における二人の会話がとても沁みる…。
史料が全てではない、創作の無限の可能性を感じる回だった。
取り敢えず過去最大に涙腺石田堤決壊
#どうする家康
第25回、つらすぎておふたりの紀行がなかったらずっと泣いてた。瀬名の企てが夢が叶った世界をこれから殿が代わってつくっていくのか #どうする家康 #どうする絵 pic.twitter.com/KqytAAYIzW
— ニカ (@nishinamikaco) July 2, 2023
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