関ケ原の戦いに勝利した家康は、その勢いのまま石田三成の佐和山城をはじめ、敵の拠点を次々に制圧します。
【どうする家康】第44話 あらすじ
慶長5年(1600年)9月27日、家康は戦勝報告のため徳川秀忠とともに上洛し、大坂城にて豊臣秀頼に謁見しました。
茶々のもくろみ
家康殿は、そなたの新たなる父と心得なさいませ。
茶々が秀頼に言いきかせます。
天下の政は、この家康めが引き続きあい務めますゆえ、なにとぞよろしくお願い申し上げまする。
まことに結構。
その満面の笑みの下で、いったい何をもくろんでいるのかわからぬ茶々。
家康に向かい、秀頼が成長するまで代わりを頼みますると願うのです。
茶々は秀吉の遺言に従い、秀忠の四つになる娘・千姫と秀頼の婚儀を進めようと切り出します。
両家が手を取り合うことが何より大事でありますからな。
言葉とは裏腹に退出する家康に向けた茶々の視線は、刃先のように鋭いものでした。
武家の棟梁と公家
いやあ、ようございましたな父上!
秀忠は素直に喜んでいるが、家康は茶々の言葉をそのまま受け取る気はありません。
…早う人質をよこせと言っておるのじゃ。
豊臣と徳川の間で微妙に保たれている関係も、秀頼が成長するまでせいぜいあと10年のこと。
衝突せずに共存していくには、今後どうつきあっていくべきか…思案する家康です。
家康の胸中を察してか、本多正信が思わぬことを言いだします。
いかがでございましょう。いっそ将軍になるというのは?
足利家のせいで将軍職は廃れてしまっているが、幕府を開けばできることは格段に増えるのです。
徳川は武家の棟梁。豊臣はあくまで公家。…住み分けられるかもしれんな。
将軍職、どのへんに落ちとるか探してきましょうかの。
正信の悪知恵のおかげで、新たな道が見えてきたのでした。
於大の最期
慶長7年(1602年)6月、家康に招かれ上洛した於大は伏見城で寧々に拝謁し、楽しいひと時を過ごしました。
天子様にまでお目通りできるなんて、夢のようだわ…もう思い残すことは何もない。
夫、久松長家の死後落飾し伝通院となった於大も、すでに74です。
さようなことは言わず、精をつけて長生きしてくだされ。
家康は薬湯を煎じ母をいたわります。
…もう捨てるでないぞ。そなたの大事なものを、大切にしなされ…一人ぽっちにならぬようにな。
かつてあれほど気丈だった母の目に浮かぶ涙に、言葉もない家康です。
この三か月後、於大は満足したかのように、伏見城で家康にみとられながらその生涯を閉じたのでした。
徳川幕府始まる
慶長8年(1603年)2月、家康は朝廷より征夷大将軍の宣下を受け、ここに徳川幕府が始まります。
家康は才気ある若者を大いに起用し、太平の世の政を着々と進めていきます。
その青年文官たちを束ねるのは、正信の息子・本多正純(井上祐貴)。
イカサマ師の息子とは思えぬ律儀な性格のせいか、父・正信とはどうもそりが合わぬようです。
一方で、戦に生きてきた年寄りである平八郎や小平太は、早く身を引くべきと考えるのです。
また二人よりも一回り以上若い井伊直政は、関ケ原で受けた傷がもとで、前年この世を去っていたのでした。
家康はさらに、秀吉の遺言どおり千姫と秀頼の婚姻も進め、徳川の足元を盤石なものにしようとします。
しかし、千姫は豊臣の家に行きたくないと泣きながら祖父・家康に訴えてきます。
母上がいつも、茶々お姉さまは怖い怖いと!何をお考えか分からぬと!
秀忠の正室・江は浅井三姉妹の末っ子で、姉には長女・茶々と京極高次に嫁いだ次女・初がいます。
ホホホホホ!この子ったら!
バツが悪そうにせきばらいする江です。
…おじじ様のおそばにいとうございます。
目の中に入れても痛くない孫娘だが、家康は心を鬼にし、徳川の姫としての心構えを説きます。
何かあれば、このじじがすぐに駆けつけよう。
…まことでございますね?
ああ、まことじゃ。
こうして秀忠の娘である千姫は秀頼と婚姻し、豊臣家の人間となります。
大坂城では大野治長(修理)も戻ってきており、豊臣家臣たちが集まって秀頼や千姫と共に賑わいをみせているのでした。
関ケ原はまだ終わっていない…
慶長9年(1604年)正月、家康は平八郎、正純らと江戸城にやってきました。
お待ちしておりました!
秀忠はじめ、正信、小平太、結城秀康も顔を揃えています。
秀忠、しかとやっておるか。
は!お千は大丈夫でしょうか?
何気なく口にした秀忠を、真っ先に聞くことが娘の心配かと家康は咎めます。
関ケ原に遅れたときから何も成長しておらんな。
本来なら全軍を率いてこなければならないのに、秀忠が従者だけで先を急いだことを、家臣たちの前でこっぴどく叱りつけます。
正信も康政もそうしてよいと…!
人のせいにするな!すべてお前のせいじゃ!
夕刻、平八郎のところへいく家康。
殿、戦しかできぬ年寄りをもういらぬとお思いなら、包まず申されませ。ただちに隠居を。
そこへ小平太が生涯最後の諫言と家康に抗議してきます。
皆の面前で、あのようにお叱りになるべきではござらぬ!秀忠様の誇りを傷つけることでございます。
関ケ原に間に合わなかったのは秀忠の落ち度ではないのに、家康の叱りようはあまりに理不尽だ。
家康とて、秀忠の年齢の頃にはどれほど頼りなかったかと詰め寄ります。
…だが、わしにはお前たちがいた。
酒井忠次、石川数正、鳥居忠吉…父親のいない家康を、皆が厳しく叱り続けてくれていたのです。
しかし、秀忠のことを厳しく叱る者は家康以外にいません。
すべてにおいて経験不足の秀忠が成長するのを、悠長に待ってはいられないのです。
関ケ原はまだ終わっていないから…
あれは所詮、豊臣家中の仲たがいの戦。それが鎮まり、再び一つになって秀頼殿のもとに集まっておる。
このまま秀頼が成長したとき、おとなしく天下を豊臣に返すか、それとも…。
…平八郎、隠居など認めぬぞ。小平太もまだ老いるな。まだ、お前たちの力がいる。
戦乱の世には戻さぬ。そしてその後、太平の世を治めていけるのは、秀忠のような人間なのです。
上に立つ者の役目は、結果において己がすべての責めを負うこと。
翌日、家康は改めて秀忠を諭し、一年のうちに征夷大将軍の職を秀忠に譲る旨を伝えたのでした。
秀忠二代将軍就任
慶長10年(1605年)4月16日伏見城にて、徳川秀忠は第二代将軍に就任しました。
これは、天下は徳川家が受け継いでいくという宣言をしたにほかなりません。
茶々の乳母の子で秀頼の側近・大野治長(修理)は秀忠の将軍就任は徳川の約定破りだといきり立ちます。
図々しくも、秀頼にも挨拶に参れと言ってきおった。むろん断ったわ。秀頼を行かせるくらいなら、秀頼を殺して私も死ぬとな。
茶々は激怒し、秀頼を家康のもとへ向かわそうとはしませんでした。
平八郎と小平太
何度も絵師に肖像画を描き直させている平八郎のもとへ、小平太がやってきます。
もう別人じゃな。絵師もお前を見ずに描いておる。
なんの用じゃ。
方々に挨拶に回っているだけという小平太に、平八郎は察します。
どこが悪い?
はらわただと答える小平太に、まだ老いるなと言われただろうがという平八郎。
しかし彼もまた、戦で傷一つ負わなかったにもかかわらず、たわいもないことで指に傷を負ってしまっていたのです。
無念だが我らはここまでのようじゃ。役目は終えたのだ。
去っていく小平太を呼び止め、老いなど認められない平八郎は槍を持って小平太とやり合います。
泣きながら見届けるまで死ぬなと…。
まだ見ていたいのう、あの背中を。
睨みをきかせてな。
そういうことか。
笑い合う老いた忠臣二人でした。
慶長11年(1606年)に榊原康政が、慶長15年(1610年)に本多忠勝が死去しました。
家康にとって欠かせぬ存在であった二人は、先に戦のないあの世へと旅立ったのでした。
二人がこの世からいなくなった後の1611年、秀頼は19歳になっていました。
時が満ちた…。
つづく…
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【どうする家康】第44話 感想考察
「徳川幕府誕生」
今回真っ先に驚いたのは、今までとは違うオープニング映像でした。
確か、当初オープニング映像は3パターンあると言っていたけど、4つに増えたの?って思っていたら…
なんと44話のみの特別映像だったみたいですね。
最後に徳川四天王二人が去るのと徳川幕府誕生にふさわしい映像と音楽になったのはいうまでもありません。
オープニング見るだけで泣けてくるのよぉ😭
ほんとに粋なことやるスタッフさん達だわ🥹
そしてこの44話は泣いたり笑ったり、感情の起伏が激しくなる忙しい回でした😅
まずは、於大の衝撃的発言に目が点となる家康。
今の今まで寅年生まれだと疑ってなかったと唖然とする家康の顔は、笑わずにいられませんでした。
また、家臣の前でガオーガオーとまでやってみせた於大の豪胆さと、このあと一人ぽっちになるなと泣く於大とのギャップが涙を誘うんです。
当主として強くあるよう時に厳しく諭すのも、大切なものを失うな、一人ぽっちになるなと心配するのも母であるからこそなんですよね。
戦国の世において於大は、とても強くてやさしい立派な女性だったのだと思います。
この1シーンだけでも泣いたり笑ったり忙しく感情が揺さぶられました。
何度も何度も絵師に肖像画を描き直させる平八郎に小平太が、その絵を見てもう別人じゃ、絵師もお前を見ずに描いておると呆れ顔で言ったところは爆笑でした。
歳はとっても同い年でライバルでもあった二人の微笑ましいシーンでしたね。
しかしその後に小平太の病を知り、自分たちの役目は終わったのだと言われた時の平八郎の無念さにまた涙するのです。
かつて三方ヶ原で死んでいった叔父・忠真のように殿を守って死ぬことが夢だった平八郎にとって、老いて指に傷を作ってしまって夢を叶えられずにいることはどれだけ辛い現実でしょう。
小平太と槍を突き合わせ見届けるまで死ぬなと言う平八郎の涙に、言葉とは裏腹に老いることは抗えずどうしようもないという無念さが滲み出ていてさらに涙を誘うのです。
大樹寺の頃から殿のことを認めていたという二人。
まだ殿の背中を見ていたいという小平太に睨みをきかせてなと答える平八郎。
小平太は一瞬で悟りました。
絵師に何度も強く見えるように描き直させていた肖像画は、西に睨みをきかせるものではなく、自分が死んだあとでも睨みをきかせていつまでも殿を見守るためのものだったのだと。
老いた二人が何気なく語り合うシーンですが、これまでの二人の戦での働きや殿との思い出がオーバーラップしてきて、涙で顔はグチャグチャです😭
50年近くを殿のために殿のそばで見守ってくれていた平平コンビ、今までありがとう。お疲れ様でした。
秀忠の甘さを面前で叱り飛ばす家康に最後の諫言だと言って物申す小平太。
家康は自分には叱り飛ばしてくれる家臣達がいたが、秀忠には自分しかいないと答えます。
耐え難いことも経験がない、これから経験すればいいことと言われても、それでは遅い「関ヶ原はまだ終わっていない」と誰よりも先を見ている家康にもはや言葉も出ません。
そして一年のうちに将軍職を秀忠に渡すと言うのです。
能力の上では兄の結城秀康の方が上なのに、どうして自分がと納得がいかない秀忠。
そこで正信と小平太は、才があるからこそ秀康様を跡取りにしない、才ある将に頼る家中は長続きしないと…。その点秀忠はすべてが人並み。偉大なる凡庸で於愛の子であるゆえかおおらかで人付き合いもいいと答えます。
関ヶ原でも恨みを買っていない、間に合わなかったおかげだと言われ妙に納得してしまう秀忠。
この一連のやり取りにも爆笑です。
ディスってるのか褒めてるのか…
キョトンとしている秀忠にも笑いが込み上げてきます。
イカサマ師正信に簡単にやり込められているようで…🤣
言い含められ納得してしまう秀忠にこの先大丈夫かと思う気持ちと、さすが於愛の子ナイスポジティブ思考と思う気持ちが入り混ざり複雑な感情になりました😆
大坂では、茶々に家康を決して信じるなと叩き込まれて育った秀頼が19になっていました。
真田丸での中川大志さんや江〜姫たちの戦国〜の仲野太賀さんらとはまた違った、作間龍斗さんは少し暗さを纏った青年になっていましたね。
家康との対面が楽しみです。
徳川幕府誕生というタイトルには家康の並々ならぬ決意が込められているように感じました。
江戸幕府ではなく「徳川」幕府です。
これからは天下の政は徳川が引き継ぎ、決して戦乱の世に戻さぬという決意。
瀬名と約束した戦なき世のためにあと少し、気が引き締まる最後の家康の顔はまさしくたぬき親父となったようでした。
残すところあと4話。大坂の陣、ラスボス茶々との戦いももうすぐです。
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